上智大学名誉教授のアルフォンスデーケン名誉教授が死去いたしました。
88歳という年齢でのデーケン教授の訃報は多くの方に驚きを与えております。
ドイツ生まれのデーケン教授ですが1959年に来日しその後上智大学で哲学を教えておりました。
今回は上智大学教授のアルフォンスデーケン教授の死去に関して取り上げます。
アルフォンスデーケン死去
上智大学名誉教授のアルフォンスデーケン氏の死去は読売新聞などがこのように報じております。
上智大名誉教授のアルフォンス・デーケンさんが6日、肺炎で死去した。88歳だった。
告別式は11日午後4時、東京都千代田区麹町6の5の1カトリック麹町聖イグナチオ教会でイエズス会員のみで行う。
主な編著書に「〈叢書〉死への準備教育」や「死とどう向き合うか」など。91年に菊池寛賞、99年に東京都文化賞などを受賞した。2000年2月~02年4月、読売新聞で「聖書のことば」を連載した。
出典:読売新聞
アルフォンスデーケン教授は上智大学で長く教え著書も出版しております。
その中でも1991年に菊池寛賞を受賞するなど外国人の教授としては異例の業績があります。
他にも京都文化賞など多くの日本への功績が認められております。
上智大学での名物教授として他の大学などでも知られておりました。
大学生には一度聞かせたい授業だなどのOBのコメントなどもあるようです。
死因は肺炎の病気
アルフォンスデーケン教授の死因は肺炎の病気だったということです。
新型コロナウイルスに感染しても肺炎の症状を起こしますが報道ではそのような事には触れられておりません。
従ってデーケン教授の死亡はコロナ感染ではない理由での肺炎が死因ということのようです。
学歴と経歴
アルフォンスデーケン氏はドイツ生まれで戦争も体験しております。
学歴や日本に来た経歴などは下記の通りです。
八人兄弟の三番目に生まれ、父は実業家。戦争中に日本二十六聖人の1人、ルドビコ茨木の伝記に出会い、日本での活動を願うようになった。
1952年イエズス会に入会。1965年には司祭に叙階される。
1959年に来日。
長く上智大学で教鞭を取り文学部人間学研究室で「死の哲学」、「人間学」、「生と死の教育」の講座を持つ。
死生学においては、日本の代表的な学者であり、その開祖であるが、来日当初は日本における死のタブー感から、大学内でも研究の存続を危ぶむ声があったという。
死生観研究の観点から、伯母がシカゴで経営する施設を初め、多くのホスピス・老人ホームなどを視察している。
厚生省(厚生労働省)のオブザーバーとして有識者会議などに参加している。
来日当時「がんは早期に告知して、治療の見込みのない患者はホスピスに移す」ことを提案したが、厚生省の役人らから「日本ではガンは告知しないことになっている」と強硬に反対されたこともあるという。
2003年に上智大学を定年退職し、上智大学名誉教授の称号を得る。2003年以降はドイツへ帰国し研究生活を経てふたたび来日。以後、日本各地で講演活動を行う。
多くの日本への功績のあったデーケン教授ですが88歳という年齢での死去となりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
上智大学以外の学生でもデーケン教授の噂はかなり広まっていたようです。
死生観の授業ということで学生にとっては新鮮だった学問のようです。
又今回の訃報により著書を読み直してみようなどのコメントもありました。
ネットの反応
デーケン教授の死去を悼むTwitterのコメントなどがあります。
最近訃報が多いですけど人生100年時代とか言いながほぼ70か80代で死んでるじゃないですか…
国会議員は年金を75歳から支給開始にしようとしてるけど払った金額と比べて圧倒的に損だし殆どの人が払うだけ払って受け取れずに死にそうだよね…
今の若い世代は50年払い続けても、受け取れるのはよくても15年ぐらいなんだよな…
デーケン教授!珠玉のコメントやダジャレは忘れません…