【死去】松田昌士革マルとは?死因は肝臓がんで学歴経歴は:私の履歴書

JR東日本の元社長をつとめた松田昌士さんが死去いたしました。

松田さんの死因は肝臓がんの病気で享年84歳ということです。

旧国鉄の分割民営化の中で主要な役割をつとめたということで注目されていた人物でした。

Twitterでも松田さんの死去を悲しむ投稿が相次いでおります。

残念です。

御冥福をお祈り致します。

松田昌士さんの訃報に際していろいろな思いがある方も多いかもしれません。

今回は国鉄民営化の中で主要メンバーとして活動してきた松田氏の死去に関して取り上げます。

松田昌士が死去,死因は肝臓がん

JR東日本の元社長の松田昌士さんが死去されました。

死因は肝臓がんの病気ということで84歳という年齢で永眠されました。

読売新聞などは松田さんの死去に関してこのように報じております。

旧国鉄の分割・民営化を推進し、「国鉄改革3人組」の一人と称されたJR東日本元社長の松田昌士(まさたけ)氏が19日、肝臓がんのため死去した。84歳だった。

経営手腕は評価され、02年には小泉政権が進めた道路公団の民営化に際し、第三者機関「道路関係四公団民営化推進委員会」の委員に就いた。

このほか、日本野球連盟会長や日本ユネスコ協会連盟会長なども歴任した。

出典:読売新聞

JR東日本の社長として活動していただけではなく政府の諮問委員や外部の団体の会長などに就任しておりました。

旧国鉄の改革は相当困難とみられておりましたが時の政権と旧国鉄内部の改革派などが主軸となり民営化が実現しました。

今や当たり前の民営会社のJRですがその歴史はかなりの困難があったのです。

革マルとは?

JR東日本の元社長の松田昌士さんのことを調べると気になる単語が出てきます。

それが「松田昌士 革マル」という文字です。

旧国鉄とJRの歴史で革マルの存在は密接に関係しているようです。

松田昌士氏と革マルはなどの関係などは週刊ポストセブンでこのように報じていたことがありました。

昨年、JR東日本の最大労働組合である「JR東労組」から、3万4500人の組合員が大量脱退するという事件が起こった。巨大企業の中で、いったい何が起こっているのか──。月刊誌『ZAITEN』7月号に掲載されたジャーナリスト・牧久氏の記事を抜粋して紹介する。

分割・民営化をきっかけに、経営当局と対峙してきた旧国鉄最大の労組、国労(国鉄労働組合)が分裂・崩壊した一方、動労(国鉄動力車労働組合)は生き延びることになります。かつて動労はストも辞さない過激な闘争手法で「鬼の動労」と呼ばれ、国労と同じく経営側と対立してきましたが、民営化直前になって方針転換し、経営側と密接な関係を築きます。

その方針転換を主導したのは、かつて数々のストを指揮し「鬼の動労」の象徴的存在だった松崎明でした。その鮮やかな“変心”は「松崎のコペルニクス的転換(コペ転)」とも言われました。その結果、国労を崩壊に追い込み、彼は「国鉄改革」の最大の功績者の一人になります。

分割・民営化を行ったのは「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根政権です。首相の中曽根康弘は民営化に際して国労や動労が生き残れば大騒動が起きると思っていたはずです。また、「国鉄改革3人組」(松田昌士、井手正敬、葛西敬之)にとっても組合問題は最重要の課題でしたが、最大労組の国労を潰すには、一時的にせよ、動労を取り込むしかないと判断したのです。

一方の松崎にしても、時の政権の大方針と闘うことがどういう結果を招くかを読み切った。だから、動労が生き残るために「コペ転」をしたのだと思います。

松崎は民営化後、JR東労組(東日本旅客鉄道労働組合)の初代委員長に就任しますが、上部団体のJR総連(全日本鉄道労働組合総連合会)にも強い影響力を持ち、事実上、上部団体を下部組織が支配するという歪な関係が長く続きます。組合だけでなく、会社側にも人事など経営権に深く介入する「影の社長」のような影響力を及ぼしました。

https://www.news-postseven.com/archives/20190706_1405709.html

旧国鉄の民営化には中曽根政権だけでなく歴代政権や会社内の組織関係が複雑に入り組んでいたようです。

今となっては歴史の一ページのようですがそれほど遠くない過去にこのようなことが実際にあったのです。

学歴経歴は:私の履歴書

学歴や経歴は日本経済新聞社の私の履歴書に詳細に記述されております。

さまざまな改革をしてきた松田昌士さんです。

JR東日本の社長だけでなく政府の第三者機関や日本野球連盟の会長など多ジャンルで活躍しておりました。

学歴は北海道大学の大学院を1961年に出て旧国鉄に入ったという形になります。

国鉄再建実施推進本部事務局長として分割・民営化に尽力し、JR西日本元社長の井手正敬氏、JR東海元社長の葛西敬之氏とともに国鉄改革派として存在感を発揮した。

分割・民営化で発足したJR東の常務に就任。株式上場した93年から2000年まで社長を務め、経営の効率化を進める一方、駅周辺の商業開発に力を入れ、株式会社としての基礎を固めた。

会長在任中の02年、政府がJR東の保有株を売却し、悲願の完全民営化が実現した。

旧国鉄の改革は当初かなり困難かと思われましたが改革派の尽力で完全民営化ができました。

現在のJRは問題もありますがサービスなどの点では比較にならないほどいい会社になったと往年の国鉄利用者などはコメントしているようです。

ネットの反応

旧国鉄を3回受験しても受からず今の会社に仕方なく40年近く勤務した私にとっては羨ましい存在の方です

アマ野球の発展にも尽力されてきた方。ご冥福をお祈りいたします。

今のJR東日本の現状を見て、どのように感じておられたんでしょうね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です