開米栄三死去|死因は白血病:経歴学歴のwikiプロフィール【訃報】

特撮用の着ぐるみの先駆者でゴジラなどを手掛けた開米栄三さんが死去いたしました。

享年90歳で死因は白血病の病気だったとのことです。

開米さんの死亡に関しては映画関係者に衝撃をもって伝えられております。

ゴジラファンなどもTwitterなどで悲しみの書き込みをしています。

子供の頃「マグマ大使」「ウルトラQ」「帰ってきたウルトラマン」「ミラーマン」などどの番組も毎週楽しみに視聴していたものです。着ぐるみを造形された方が同じ人物でしたか。形を思い出すと、なるほど共通的なセンスを感じますね。

日本にもこういった方々の功績を残していくためにも、しっかりとした何かしらの殿堂を作るべきだと思います

日本の特撮映画界の黎明期から活躍しゴジラの印象を決定づけたのが開米さんです。

今回は開米栄三さんの死去に関して取り上げます。

開米栄三死去:訃報

開米栄三さんの死去に関しては朝日新聞がこのように報じております。

「ゴジラ」などの特撮用の着ぐるみを数多く手がけた開米栄三(かいまい・えいぞう)さんが4月24日、白血病で亡くなった。90歳だった。

1954年の映画「ゴジラ」で、造形作家の利光貞三がつくった原型をもとに、特撮用の着ぐるみの造形を担当。針金と金網、竹でつくった型に、和紙と布を貼り重ね、外皮にはゴムの原料合成ラテックスを使った。

制作には約2カ月かかったという。のちに朝日新聞記者の取材に対し、「オヤジさん(特撮を担当した円谷英二さん)から『ぬいぐるみでいこう』と言われたときは、驚いた。

人が入るぬいぐるみなんて聞いたことなかった」と振り返っていた。東宝撮影所で様々な着ぐるみ造形にかかわった後、自ら開米プロダクションを起こした。

出典:朝日新聞デジタル

円谷プロダクションでのゴジラの着ぐるみの制作で様々な発想と試行錯誤で作り上げたということです。

昭和の時代に燦然と輝く特撮映画のゴジラですが開米さんはそれだけでなく多くの特撮の造形を作っております。

「マグマ大使」「ウルトラQ」「帰ってきたウルトラマン」「ミラーマン」「人造人間キカイダー」「がんばれ!! ロボコン」

これらを手掛け多くのファンを魅了いたしました。

死因は白血病

開米栄三さんの死因は白血病の病気ということです。

年齢も90歳ということで化学的療法も行っていたとは思いますが身体的負担が大きかったと思われます。

90代での治療は安全面などでも難しいところがあるようです。

治療は最後まで続けられたようですが90歳という年齢で死亡ということになりました。

ファンからは残念だというような声がたくさん聞こえてきます。

経歴学歴のwikiプロフィール

開米栄三さんの学歴や経歴などのプロフィールをwikiなどからまとめてみました。

学歴に関しては情報がありませんでした。

もしかすると芸術系の大学などの卒業なのではというような書き込みもありますが初期のころは遊園地やお化け屋敷で働いていたということで専門の大学などには通っていなかったのではと予想されます。

28歳の時に東宝の小道具のや映画美術の仕事をするようになりました。

そしてゴジラの製作スタッフにも加わり円谷特技プロの番組制作などで活躍しました。

その後は自分自身で開米プロダクションを設立しマグマ大使などの造形を制作しました。

1980年までの映画にかかわった数は20本以上でテレビ番組も20作品以上ということで昭和に大活躍した怪獣などの造形のプロフェッショナルだったということです。

特撮のファンからは本当に開米さんの死去は残念で時代が一つ終わった気がするなどの感傷的なコメントもたくさんあります。

ネットの反応

幼い頃、マグマ大使に夢中でした。
思えばそれからずっと、開米さんの生み出す怪物たちに魅了されて育ってきました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

この方の手腕が日本の特撮作品黎明期に与えた影響を考えれば、その功績が如何に大きいが心に染みます。
ご冥福をお祈りします。

自分の思う時代の特撮って、開米さんのなんだよなー。ウルトラマンもゴジラも懐かしい。
あの頃って独特な雰囲気あったもん。

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