木挽町弁松が倒産!閉店理由は?歌舞伎座前で弁当&おせち

東京の歌舞伎座の前にあり150年以上の歴史を誇るお弁当屋さんの木挽町辨松(弁松)が廃業となります。

現在の当主は5代目となる猪飼信夫さんで67歳ということです。

後継者を探している中、事業譲渡という形でお店を残そうとしていたようですが今回の倒産という結果になったようです。

今回はこの東京歌舞伎座前の老舗弁当屋の木挽町辨松(弁松)の閉店に関して取り上げます。

歌舞伎座前で弁当&おせち

東京歌舞伎座前で弁当屋おせちを販売していた木挽町辨松(弁松)が廃業するという報道が入ってきました。

東京・歌舞伎座の向かいにある老舗弁当店「木挽町弁松(こびきちょうべんまつ)」が、20日に廃業する。

感染拡大による歌舞伎座の公演中止・延期で収益が悪化し、交渉を進めていた後継者への事業譲渡が破談になったためだ。

152年続くのれんをたたむことになり、5代目店主の猪飼信夫さん(67)は「こんなことになるとは想像もできなかった。長い歴史を閉じることになり申し訳ない」と話す。

猪飼さんは約15年前に先代の父から店を継ぎ、毎日午前4時半から調理場に立って弁当作りを続けてきた。

以前、「店を継ぎたい」と申し出た長男には「大変だから」と断ったが、70歳が近くなり「元気なうちに店を譲りたい」と、後継者探しを始めた。

昨年夏には仲介会社を通じて紹介を受けた企業と事業譲渡の交渉を始め、4月に契約する予定だった。

出典:毎日新聞

5代目の店主となる猪飼さんは廃業ではなく事業譲渡でのれんを残そうとしておりました。

当初の予定では今月に事業譲渡の計画が進むはずでしたがそれも断念したということです。

長男が後を継ぎたいといった時も仕事の大変さから他の職業をすすめたようで後継者難も追い打ちをかけたのかもしれません。

中村勘三郎さんとは長年の付き合いだったということです。

襲名の時にも絵馬をお店に送っていたようでそれが今でも店内に飾ってあります。

木挽町辨松(弁松)が倒産!閉店理由は?

「木挽町辨松(弁松)」の倒産する理由は何でしょうか。

閉店理由として考えられるのは新型コロナウイルスの感染の拡大で歌舞伎座の公演が中止や延期になったことが大きいのです。

歌舞伎座の客がそのまま「木挽町辨松(弁松)」の顧客になっていたので集客ができなくなってしまいました。

そして今月、もともと事業譲渡を予定していたようですがこちらも感染が広がり事業を譲り受ける余裕がなくなってしまったのか譲渡の話も流れてしまったようです。

「木挽町辨松(弁松)」の倒産理由としてはやはり新型コロナの影響がいちばん大きいのです。

常連客の中には感染が一つの長年の文化を無くしてしまったと無念そうに語っている方もいるとのことです。

譲渡先の企業はどこ

「木挽町辨松(弁松)」の事業はある企業に譲渡される予定だったようです。

その譲渡先の企業とはどこなのでしょうか。

こちらの譲渡先の企業の名前は明らかにされておりませんが飲食関係の企業と推測されております。

歌舞伎座前店だけでなく一時期は7店舗の運営をしておりブランド力があるので今後救済に動く企業が出てくる可能性もあります。

ネットの反応

江戸時代からのお弁当屋さんの倒産ということで残念に思っているお客さんが多いようです。

木挽町弁松倒産の理由が急に拡大したウイルスというのもなんだか納得がいかない話です。

今後はどこかの企業がこの味を受け継いで後世に残してくれるといいのだがなどの声も聞こえてきます。

よく買ってたので残念です(T△T)木挽町弁松さんだけなのかな?デパートに入ってるのはまだあるのかしら?

廃業されるのは木挽町の辨松さんです。
日本橋の弁松さんはまだまだ元気だそうですよ。

木挽町のお店は辨松さんだそうです。
弁松さんはまだまだ元気に日本橋でやってるそうです。

廃業後は?

木挽町の弁松が廃業することになり常連さんなどが急きょ駆けつけて思い出の味を懐かしんでいたようです。

江戸時代から続く老舗のお弁当屋さんの廃業に悲しい思いをしている方々は歌舞伎界にもいるようです。

今回の感染が広がらなければこのような倒産にはつながらなかったように感じている方も多いようです。

しかし、今後は名前を受け継いで歌舞伎座の近隣でまた店舗の再開を待ち望んでいる方もいるようです。

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