上方落語の笑福亭仁鶴さんが17日に死去していたことがわかりました。
笑福亭仁鶴さんは84歳だったということですが後年は骨髄異形成症候群などの病気と闘っていたということです。
Twitterなどには関西の芸能界の大御所の死去に多くのコメントが投稿されております。
危機にあった吉本をおひとりで支えられた。
60年代、70年代のお笑いと言えば、この方だった。関西の男の子は、必ずと言っていいほどこの方の口真似をしたものだ。
心からご冥福をお祈りいたします。
本日は関西芸能界の重鎮である笑福亭仁鶴さんの訃報に関して取り上げます。
笑福亭仁鶴が死去
【訃報】上方落語の重鎮、笑福亭仁鶴さんが死去 #笑福亭仁鶴 #吉本興業 https://t.co/OGjiQBmS1v
— 日刊スポーツ (@nikkansports) August 20, 2021
笑福亭仁鶴さんの死去は下記のように報じられております。
特に関西のメディアでは大きく仁鶴さんの訃報が大きく報道されております。
上方落語を代表する関西芸能界の大御所、笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく)さん(本名・岡本武士=おかもと・たけし)が骨髄異形成症候群のため、17日に大阪府内の自宅で死去した。
仁鶴さんは昭和、平成、令和と時代を超えて多くのファンに愛され、劇場からテレビ、ラジオなど様々な媒体で多彩な才能を発揮した。1912年に創業された吉本興業の「中興の祖」と言われる。
大阪市生まれの仁鶴さんは高校生の頃から友人とお笑いを研究し、卒業後は、ガラスふき、ブラシの行商、家業の鉄工所を手伝った。働きながら、素人参加の番組に数多く出演。才能を見出され、1962年、番組で知り合った「上方落語四天王」の一人、6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りした。
落語家として高座に上がる一方、タレントとしても積極的に活動。深夜ラジオでは、リスナーからのはがきを読む際に発する「どんなんかな~」、「うれしかるかる」などのフレーズがブームに。全国でアイドル的な人気となり、吉本の「お笑い」の礎を築いた。
出典:スポーツ報知
笑福亭仁鶴さんは関西のお笑いの中興の祖という立ち位置で誰からも尊敬されておりました。
テレビ時代のお笑いにマッチし日本中で大人気となりました。
まさに昭和を代表するお笑い芸人でした。
死去理由(死因)はパーキンソンの病気
【速報 JUST IN 】落語家 笑福亭仁鶴さん死去 84歳 テレビ ラジオでも幅広く活躍 #nhk_news https://t.co/3v1GNrIwWE
— NHKニュース (@nhk_news) August 20, 2021
笑福亭仁鶴さんの死去理由などはネット上ではパーキンソン病の病気などとささやかれておりました。
報道では死亡の理由として骨髄異形成症候群とありますがパーキンソン病とはどのような関係なのでしょうか。
パーキンソン病は神経がおかされていく神経難病ということです。
手足の震えやバランス能力が落ちてQOLなどが著しく低下してしまいます。
骨髄異形成症候群は血液の病気で正常な血液細胞がつくられなくなる病気です。
息子は
笑福亭仁鶴さん、骨髄異形成症候群のため84歳で死去 「四角い仁鶴がまあるくおさめまっせ」 https://t.co/PpJDqCU35Q #芸能ニュース #ニュース
— スポーツ報知 (@SportsHochi) August 20, 2021
笑福亭仁鶴さんに関しては息子がいたのでしょうか。
いたとしたら芸能界にいるのでしょうか。
ネット上では師匠と弟子の関係の中で息子的に存在している方は複数いらっしゃいます。
現在息子さんに関しては採取確認中です。
ツイッターでの追悼コメント
笑福亭仁鶴さんへのSNS上での追悼のコメントがたくさんあります。
長年関西で活躍された関西の重鎮ということでファンもたくさんいました。
全国のファンがそのソフトな語り口調を懐かしく感じているようです。
もう、四角い仁鶴が、まあるく収めてくれないのか…
ご冥福をお祈りします。。。
吉本は今お笑いで一番大きな会社でもあるけど、元々松竹より小さかったのを、一気に大きくしたのはこの人が居たから!
衝撃だ