世界的なバイオリニストである佐藤陽子さんの死去が報道されました。
佐藤陽子さんは年齢が72歳だったということです。
死因の病気は肝臓がんということですが多くの音楽関係者がショックを受けているようです。
本日はバイオリニストである佐藤陽子さんの死去などに関しての話題です。
佐藤陽子が死去
バイオリニストの佐藤陽子さん死去…池田満寿夫さんのパートナーhttps://t.co/4ZjtHvN9Ma#カルチャー
— 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) August 1, 2022
世界的なバイオリニストである佐藤陽子さんの訃報は下記のように報道されました。
世界的なバイオリニストで、版画家・池田満寿夫氏(故人)と結婚を宣言したことでも知られる佐藤陽子さんが7月19日、静岡県熱海市内の病院で肝臓がんのため死去した。72歳だった。
出典:読売新聞オンライン
佐藤陽子さんの訃報は世界中に発信されているようです。
国際的にも活躍し有名な音楽家でした。
旦那さんが版画家の池田満寿夫さんだったという点でも多くの注目を浴びてきました。
バイオリン界の重鎮の訃報で多くの方が驚いているようです。
死因の病気は肝臓がん
佐藤陽子さんの死因となった病気は肝臓がんです。
肝臓がんは発見が遅れることも多く治療が難しいがんということです。
72歳での死去となりましたが抗がん剤などでの治療をしてきたようです。
現在では免疫チェックポイント阻害薬などの治療薬も開発されつつありますが72歳での佐藤さんの死去となってしまいました。
肝臓がんの早期発見などはできなかったのでしょうか。
wiki経歴&プロフィールは?
佐藤陽子さんのwikiでのプロフィールはあるのでしょうか。
同姓同名の有名人もいてそちらの内容が多いようです。
wiki的な経歴やプロフィールを記述してあるものもあります。
3歳よりヴァイオリンを始める。1958年に来日中のレオニード・コーガンに才能を認められ、翌年よりソ連政府の給費留学生としてモスクワ音楽院附属学校に進学、コーガンに師事。1962年にキリル・コンドラシンの指揮によりモスクワデビューを果たし、1966年にはチャイコフスキー国際コンクール第3位を受賞。同年9月よりモスクワ音楽院に進学。1969年にロン=ティボー国際コンクール第3位。1971年にモスクワ音楽院を首席で卒業した後、フランスに留学して翌1972年よりヨゼフ・シゲティの門を叩く。パガニーニ国際コンクールで第2位入賞。声楽をマリア・カラスに師事し、ソプラノ歌手としてジュゼッペ・ディ・ステファーノらと共演。
1976年に帰国し、アーティストとしての演奏活動のかたわら、エッセイの執筆やミュージカル歌手としてタレント活動も続けた。私生活ではパリで知り合った外務官僚・岡本行夫と大恋愛の末に24歳で結婚するも、池田満寿夫とローマで運命的な出会いをし1979年に離婚。同年池田と共同で個人事務所「M&Y事務所(有)」を設立。池田の撮影モデルを務めるなどもし、しばしば芸能界でもおしどり夫婦として話題になったが、池田側の事情によって、両者が正式の夫婦になったことは一度もなかった。
池田さんとは正式には婚姻関係にはなかったようです。
法律上の話で実質的にはおしどり夫婦としてメディアにも認識されておりました。
世界的な日本を代表するバイオリニストとを失った喪失感が広がっているようです。
ネットの反応
昨日佐藤陽子バイオリンコンサートに行きました。
「愛の挨拶」ては、ご主人池田満寿夫さまの生前のテレビで見たお元気な笑顔が目に浮かび、涙もろくなった目からポロリポロリ???? pic.twitter.com/rKiQW6DOOA— 松井 巧 (@matsut060) March 4, 2019
ネット上では佐藤陽子さんの訃報に悲しんでいるコメントがたくさんあります。
ツイッターなどには過去の佐藤さんや池田さんの思い出を書いているようなものも多いようです。
肝臓がんでの70代での死去となりましたがもっと活躍してほしかったなどのコメントもあります。
今夜は佐藤さんの演奏を聴いてみようと思うなどの書き込みもあります。
池田さんと共作された映画「窓からローマが見える」では、「悪魔のフーガ」をバイオリンで演奏するだけではなく、ジプシーの女性役で出演しておられました。突然の訃報に驚いています。生前の名演技・名演奏に感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
「平凡パンチ」誌上だったか、
自由奔放に青春を語った内容が強烈で、
自分の地味な青春時代と比較して印象に残っている。
ツクタ゛のオセロCMは未だに覚えてます。
池田さんの立派だね~というのが印象的でした。
池田満寿夫さんとの仲睦まじい姿が印象的でした。合掌