須藤甚一郎死去で死因は多臓器不全の病気|家族と上岡龍太郎とは?

芸能レポーターとして活躍し目黒区議をしていた須藤甚一郎氏が死去いたしました。

須藤目黒区議は享年81歳ということですが6選しておりそのほとんどがトップ当選でした。

関係者は須藤氏の死去に大きなショックを受けているようです。

須藤甚一郎死去で死因は多臓器不全の病気

須藤甚一郎氏の死去はスポーツ報知などが速報しております。

芸能リポーターで、現職目黒区議の須藤甚一郎氏(すどう・じんいちろう)が、今月11日に多臓器不全のため死去していたことが、13日分かった。

「女性自身」などの記者から芸能リポーターに転身。テレビ朝日系「アフタヌーンショー」、日本テレビ系「ルックルックこんにちは」などで活躍。歯に衣着せぬ発言が話題を呼んだ。

99年には目黒区議選に立候補し初当選。2003年、07年、11年、15年にもトップ当選していた。昨年も目黒区議会選挙にも無所属で立候補し、6選目を果たしていた。現職で夢半ばの訃報となった。

出典:スポーツ報知

芸能レポーターとして活躍していた須藤甚一郎氏ですがベテランの目黒区議になっておりました。

区長の学歴詐称に対して追及するなどし区議としての活動も精力的に行っていました。

須藤氏の死因は多臓器不全の病気ということですが年齢も80歳を超えて不具合の有った箇所も多かったようです。

まだまだ活躍できたのに本当に残念だとのコメントが今回の訃報でたくさん聞かれます。

家族

須藤甚一郎氏の家族構成はどのようになっているのでしょうか。

結婚や子供のことは情報がほとんどありません。

しかし、須藤氏の喪主は長男の健太郎さんがつとめるということで嫁や子供の存在は理解できます。

奥さん(嫁)などはどのような方なのかの情報は現在調査中です。

上岡龍太郎とは?

須藤甚一郎氏を調べると「上岡龍太郎」さんの名前が検索のワードに出てきます。

須藤氏は上岡龍太郎さんとどのような関係だったのでしょうか。

テレビ番組での中での発言が今でもネット上に公開されております。
1990年代の頃の話で今から30年前の発言です。

(龍太郎 VS 須藤甚一郎)――「石川さゆりさんが来はったんや。そんでその後が須藤甚一郎や。…アンタどない言うたんや。”友達なくして●んだらいいんじゃあ! ” って、あのねえ!」

話の前後がわかりませんが須藤甚一郎さんと上岡龍太郎さんの軽快なトークが想像できます。

昭和を代表する方がまた一人いなくなったと嘆いている方もたくさんいるようです。

Twitterのコメント

須藤甚一郎氏の死去に関してはたくさんのTwitterでのコメントが届いております。

81歳にびっくりした。芸能リポーターのイメージしかない。60歳くらいでとまったままだったわ。

区議会の意義や
区議会議員の人数や報酬については
再考が必要。

ワイドショー全盛時代に活躍した人です

芸能レポーターが転身して区議とはね。
ずっと多選していたところを見ると
それなりの実績はあったんだろう。

しかし最近の芸能レポーターは
文春砲とか週刊誌の特ダネの影に隠れがちで
存在感が薄いな。

学歴と経歴

須藤甚一郎氏の学歴や経歴は下記のようになります。

一度選挙には落選しているというのも意外な感じがするというコメントもありました。

早稲田大学第二政経学部政治学科卒業。

1967年(昭和42年) – 統一地方選挙世田谷区議会議員選挙に無所属で立候補するも落選。
1999年(平成11年) – 統一地方選挙目黒区議会議員選挙に無所属で立候補し初当選(得票第8位)[2]。
2001年(平成13年) – 第14回参議院議員通常選挙比例代表に民主党から立候補するも落選(個人得票7001票)。
2003年(平成15年) – 統一地方選挙目黒区議会議員選挙に無所属で立候補し2選(得票第1位)[2]。
2007年(平成19年) – 統一地方選挙目黒区議会議員選挙に無所属で立候補し3選(得票第1位)[2]。
2011年(平成23年) – 統一地方選挙目黒区議会議員選挙に無所属で立候補し4選(得票第1位)[2]。会派「無所属・目黒独歩の会」所属。
2015年(平成27年) – 統一地方選挙目黒区議会議員選挙に無所属で立候補し5選(得票第1位)[2]。
2019年(平成31年) – 統一地方選挙目黒区議会議員選挙に無所属で立候補し6選(得票第2位)

最後の選挙だけ2位での当選で他はすべて1位当選等ことで人気があった目黒区議だったようです。

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