こんにちは!Spread Box編集部の日比谷です。
ローマと東京のオリンピックでメダリストとなった吉川貴久さんが死去いたしました。
享年83歳で生まれた福岡県で逝去されました。
射撃という日本ではあまり馴染みのない競技でのメダル獲得ということで射撃界はかなりの興奮だったそうです。
今回はそんな吉川さんについて取り上げようと思います。
死因は心不全(病気)吉川貴久が死去
吉川貴久さんの死去について産経新聞などはこのように報道しております。
1964年東京五輪の射撃男子フリーピストルで2大会連続となる銅メダルを獲得した吉川貴久(よしかわ・よしひさ)氏が12日午前2時3分、心不全のため福岡市内の病院で死去した。83歳。福岡県出身。
告別式は14日午前11時、福岡市中央区古小烏町70の1、ユウベル積善社福岡斎場で。喪主は妻、清子(きよこ)さん。
出典:産経新聞
吉川貴久さんは心不全の病気で死去いたしました。
入院していた病院は福岡県の病院です。
出身も福岡県の吉川さんは選手として4回五輪に出場しております。
射撃会の重鎮が逝去されたことで関係者の間からは驚きの声が聞こえてきます。
福岡出身で学歴や経歴は?
吉川貴久さんは福岡県出身ですが学歴などの情報はwikipediaなどにもなく不明でした。
射撃選手としての経歴は1960年のローマオリンピックで銅メダルを獲得しました。
射撃でのメダル獲得は日本としても初めてのことでした。
その後の東京オリンピックでも銅メダルを取り不動の地位を獲得しました。
そして1968年のメキシコ五輪と1972年のミュンヘン五輪にも出場しましたがメダルの獲得には至りませんでした。
1976年のモントリオールオリンピックでは代表監督としてチームを率いて参加いたしました。
日本代表監督も含めると5回もの五輪に関わり射撃会ではレジェンドの扱いのようです。
ネットの反応
今回の出来事を受けて世の中はどのように反応しているのでしょうか?
SNSなどのコメント欄に書かれたユーザーの意見を抜粋したいと思います。
合掌
心よりご冥福をお祈りします。
来年の東京五輪を見て頂きたかった。
最後までご覧いただいてありがとうございました。
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