作曲家の筒美京平さんが死去いたしました。
昭和の音楽シーンを代表するようなヒット曲をたくさん書いてきた巨匠の訃報ということになります。
筒美さんの死亡は音楽業界だけでなく様々な方に大きな悲しみを与えているようです。
ツイッターでも筒美さんの訃報は大きな話題となって反響がたくさんあります。
突然の訃報に驚くばかりです。筒美さんの作品に幾度となく癒されてきました。今はただ、ご冥福をお祈りします。
日本の音楽界に名を残す有名作曲家!
ご冥福をお祈りいたします。
今回は筒美京平さんの死去に関しての話題となります。
筒美京平が死去で死因は誤嚥性肺炎の病気
「また逢う日まで」「17才」「サザエさん」などの名曲を生んだ、作曲家の筒美京平さんが7日死去したことが分かりました。80歳。https://t.co/w2qO091Amt
— 毎日新聞 (@mainichi) October 12, 2020
筒美京平さんの死去はスポーツ紙を中心に報道されております。
死因は誤嚥性肺炎の病気ということですが享年80歳という年齢での訃報となりました。
作曲家の筒美京平さんが今月7日、誤嚥(ごえん)性肺炎により死去していたことが分かった。80歳。筒美さんの個人の音楽出版事務所の代行を行っている日音が発表した。
筒美さんは、かねて自宅で病気療養していたという。故人の遺志により、葬儀はすでに近親者により執り行われた。
「お別れの会」などは、新型コロナウイルスの感染状況などをかんがみ、現段階で行う予定はないという。
出典:日刊スポーツ
筒美京平さんは1870年代より大ヒットを飛ばし80年代になっても活躍しておりました。
アラフォー以上の方なら必ず聞き覚えのある曲が複数あると思います。
そんな大作曲家が死去し芸能界にはショックを受けている方も多いようです。
筒美さんの死因は誤嚥性肺炎ということですが80歳になるという年齢も影響していた可能性はあります。
印税の年収いくら?
筒美京平さんに関してはその印税の年収はいくらになるのか気になる方も多いようです。
ピーク時の年収はかなりの金額になっていたようです。
現在ネット上で筒美さんの年収を調べると3億円と出てきます。
カラオケや様々なシーンで使用されるような有名な楽曲が多いということで現在でも億を超えるような印税収入があるようです。
昭和の頃のヒットを連発していたころの筒美さんの印税の年収はもっと多い金額だったはずです。
代表作は
筒美京平さんの代表作は本当にたくさんあります。
筒美さんはレコード会社勤務を経て、作曲家に。1971年の尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、1975年の太田裕美「木綿のハンカチーフ」、79年のジュディ・オング「魅せられて」、80年の近藤真彦「スニーカーぶる~す」など数々のヒット曲を手掛けた。
スポーツ紙に引用された大ヒット曲だけでも複数あり手掛けた作品は数知れずという感じです。
思いでのある曲が改めて筒美さんの楽曲だったということに気づいた方も多いのではないでしょうか。
また一つ昭和の巨人の死去ということで時代に変遷をしみじみ感じている方も多いようです。
ツイッターのコメント
筒美京平さんの死去は多くの音楽ファンにショックを与えております。
ツイッターでも続々と追悼の書き込みがあるようです。
元アイドルファンの方も大人になり今回の筒美さんの死去はいろいろな思い出が胸によみがえっているというような書き込みもあります。
ヒット曲をあれだけ多く作曲した人はもう出てこないんじゃないか。歌謡曲といえば筒美京平だと言い換えてもいいくらいに認識してる。いろんな曲で楽しませてもらった。合掌です。
残念すぎる。まさに昭和が遠くなったとはこの事。
音楽番組は特番組んで筒美京平特集やってほしい。
都倉さんや松本隆さんも長生きしてほしい。
ショックです。数えきれないほどの歴史に残る名曲をありがとうございました。
これは大ショックです。
我々がいまだに口ずさめる多くの名曲を生み出してくれました。
それらはこれからも色褪せることはないと思います。
たくさんの名曲をありがとうございました。
ご冥福お祈り申し上げます。