こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)の創設者の蓮田太二さんが死去いたしました。
死因は心筋梗塞の病気で自らが理事長を務める熊本県の慈恵病院で死亡したとのことです。
蓮田太二さんに関しては赤ちゃんポストの設置を様々な意見がありながらも全国で初めて設置しました。
Twitterでもその功績を評価する声があります。
賛否両論の声が多かった赤ちゃんポストですが近年では社会にかなり馴染んできたとも言えます。
ゆりかごが出来た時、全国から批判が多かったがご自身の信念を貫いた方ですね。
残念ながら未だにゆりかごは必要な状況、むしろ更に必要になってる。だが、それで救われた赤ちゃんがいるのは良かった事。
今一番必要な人では……
理屈ではなく今すぐ「子供を」助けなくてはと手を差し伸べた人
ありがとうございました。目の前の恵まれない子供に手を差し伸べる精神が
今後も後継に受け継がれていきますように
今回の話題は蓮田太二さんの死去などに関してです。
【蓮田太二】どんな人で経歴は?
【訃報】【#こうのとりのゆりかご(#赤ちゃんポスト)」を開設した熊本市にある #慈恵病院 の医師 #蓮田太二 理事長が25日午前11時37分、#熊本市 内の済生会熊本病院で急性心筋梗塞のため亡くなりました。84歳でした。 pic.twitter.com/XruJcnfCwm
— KKT熊本県民テレビ【公式】 (@kkt_televitan) October 25, 2020
蓮田太二さんの死去は大きく報道されております。
熊本日日新聞が下記のように蓮田さんの死去を報道しております。
熊本市西区の慈恵病院理事長で、親が育てられない子どもを匿名でも預かる「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を開設した産婦人科医の蓮田太二さんが25日午前11時37分、心筋梗塞のため同市の病院で死去した。
全国で相次いだ乳児への不適切な行動を受けて2006年秋、ゆりかごの設置構想を公表。
07年5月から運用を始めた。ゆりかごには19年度までに155人が預けられている。
出典:熊本日日新聞
蓮田太二さんは84歳という年齢で死去しました。
死因は心筋梗塞の病気ということで自らが経営する熊本市内の病院で死去したということです。
赤ちゃんポストは構想が発表されたときには社会的に大きな批判もありました。
しかし、現実問題をどう扱うかという点で100人以上の赤ちゃんの命が救われたという事実もあります。
現在では赤ちゃんポストの存在は認知されてきており当時のような激しい非難の意見はあまり無いようです。
どんな人で経歴や学歴はどのようなものだったのでしょうか。
出身は台湾で出身大学は熊本大学医学部です。
その後熊本大学産婦人科の研究員となりました。
昭和44年からは慈恵病院に勤め2006年には赤ちゃんポストの設置の行動を具体的に取りはじめました。
当初は批判も多かった赤ちゃんポストですが実際問題として150人近くの子供が救われているという事実があります。
息子は誰
蓮田太二さんの息子は誰なのかという点もネット上では注目されているようです。
長男は蓮田健さんで慈恵病院の副理事長・副院長を務めております。
父親と同じ医学の道にすすみ慈恵病院の副理事長として運営の主体的な役割を担っているとのことです。
読み方は?
蓮田太二さんの読み方がわからないという方も多いようです。
確かに苗字は「はすだ」と読むことはできますが下の名前は何と読んだらいいのでしょうか。
報道に拠りすでに蓮田太二さんは「はすだ たいじ」さんと読むことがわかります。
台湾生まれということですが学生時代に日本に来て熊本大学を卒業されました。
ネットの反応
蓮田太二さんの死去はネットや報道で大きく扱われております。
命を守るという点で自分の医師を貫いた医師ということで注目され続けた医師でした。
蓮田さんのご冥福を心よりお祈りしたいと思います。
生まれた赤ちゃんの命を、最優先に考えご自身の正義を貫いた方ですよね。
赤ちゃんポスト(当時の報道はこう呼んでました)が話題になった頃、女子高生だった私は一体何が問題なのか全くわからなかった。
看護師なら 学生時代に一度は議論したり、話したりする事がある
批判されたり
色々あっただろうけど、貴方のお陰で救われた命があります ありがとうございます
蓮田さんの発案行動により、155人の尊き命が救われたのは紛れもない事実です!
根本的に解決にはなっていないが、ゆりかごがあったから、たくさんの命が救われた。そして今も必要な状態。だが批判する人も多い。批判する人に問いたいが理想論ではなく現実問題としてどうすればいいのか?いまこの子いらないって言われたら対応できるのだろうか?