プロ野球で監督をつとめて優勝にも導いた野村克也さんが死去いたしました。
ヤクルトスワローズと阪神タイガースで采配を振るいチームの成績に貢献した名監督です。
現役時代は捕手をつとめその頃からチーム全体のマネジメント力が評価されておりました。
突然の訃報に驚いた人も多いであろう。
自分はノムさんがヤクルトの監督になってからファンになりました。
選手としても監督しても活躍し、ユーモアもあった。
ご意見番としてもっと姿をみたかった。
享年84歳ということですがもっと元気な姿を見たかったというファンが多いようです。
今回はそんな野村克也さんの死去に関して取り上げようと思います。
野村克也の死因はやばい病気?
野村克也さんの死去:訃報は各スポーツ紙がそれぞれ取り上げております。
今回は日刊スポーツの報道を見てみましょう。
ヤクルト、阪神などで監督を務めた野村克也さんが死去した。84歳。
野村克也(のむら・かつや)1935年(昭10)6月27日、京都府生まれ。54年にテスト生として南海に入団。ロッテ、西武で80年まで名捕手として活躍し、歴代2位の657塁打を記録。
65年には3冠王に輝いた。監督としては70~77年に南海、90~98年ヤクルト、99~01年に阪神、社会人野球シダックス監督を3年間務め、06~09年まで楽天で指揮を執った。
ヤクルト監督時代の92年にリーグ優勝、93年、95年、97年に日本一。
出典:日刊スポーツ
ヤクルト時代に3度の優勝を飾った時の印象が強いファンが多いようです。
独特話し方と理論的な解説で解説者としても人気がありました。
そんな野村克也さんですが死因はなんだったのでしょうか。
一部では虚血性心不全の病気ではという噂が流れております。
しかし、この虚血性心不全という病は野村克也さんの奥様の沙知代さんの死因です。
こちらの病気で逝去された可能性はありますが、84歳という年齢を重ね最近は車いすの生活だったということでかなり体が弱っていたようです。
年齢的に考えるとがんなどの病気が有力ですが現時点では野村克也さんの死因の詳細は公表されておらず噂の段階です。
やばい病気なのではなどと言う噂がありますがこちらの真偽はわかっておりません。
今後報道や葬儀などがありますので死因などに関しても詳しい状況が明らかになってくるものと考えられます。
※野村克也さんの死因は虚血性心不全だったことが判明いたしました。
最愛の奥様と同じ病気で天国へ旅立たれたとのことです。
死去した病院は?訃報と車椅子
野村克也さんは晩年は車いすでの生活で病院にも通院していたようです。
ではその野村克也さんの入院していて死去した病院はどこだったのでしょうか。
2010年に入院した際には東京の慶應義塾大学病院に入院しておりました。
今回死去した病院に関しての情報はありませんがおそらく同じ慶応病院に入っていた可能性が高いようです。
イチローが嫌い?
以前、野村克也さんは解説でイチローが嫌いと明言していた方です。
その真意はわかりませんが年齢的にも昭和の方でメジャーリーグなどが現実的ではない時代の考え方だったのかもしれないとコメントがあります。
晩年はわかりませんがメジャーリーグなどに関する理解もかなり深かったようでその後のイチロー選手との関係も修復していったのではないかとの推測もあります。
どちらにしても当時人気絶頂だったイチロー選手のことを嫌いとはっきり言う珍しくも人気のあった解説者時代でした。
そのような言動もあり野村さんは人気は他を圧倒していました。
ネットの反応
もう84歳だったんですね。ずっと元気にいて欲しかったですが、残念です。
まーくん神の子不思議な子って言ってたのが、ついこないだのように感じます。
驚いたよ…。
選手として、そして監督として野球界で一つの歴史を作った方。
初めてID野球というものを知ったのも野村さんのおかげ。そこからデータ野球が一世を風靡し、それまでの根性論や感覚で語られていたものが改めて見直されるきっかけとなったね。
今ではメジャーでもデータ全盛時代。時代の先駆者であった。
野球界に寄与した功績は多大なるものだと思う。
今、野球人口減少が叫ばれている中、球界は大きな分岐点に差し掛かっていると思う。どうか偉大な力で天国から見守っていほしいね。
心よりご冥福をお祈りします。
「弱いチームを強くする人」
自分のノムさんの印象はこれ。
阪神では優勝できなかったけど、
星野阪神が優勝できたのは
ノムさんが種をまいたからだと思っている。
ノムさん、突然の訃報で驚いています。
もうあの辛口コメントが聞けないのかと思うと寂しいです。南海、ヤクルト、阪神、楽天と決して強いチームではありませんでした。けど、一から選手を鍛え上げ、リーグ優勝、日本一になった名監督。ありがとう。そして、ご冥福をお祈りします。
日本プロ野球のレジェンドがまた一人旅立ちました。特にヤクルト監督時代での森西武との日本シリーズや、仰木オリックスとのイチロー封じには本当に野村ID野球の凄さを痛感しました。
ご冥福をお祈りいたします。