北九州市の名物の小倉焼うどんの発祥の店の「だるま堂」のおばちゃんで有名だった坂田チヨノさんが死去いたしました。
小倉焼うどんのお店で約60年間も働き地域の発展に貢献してきました。
近年ではSNSの情報を利用して海外からのお客様も来ていたようです。
坂田チヨノさんは小倉の名物おばちゃんとして名を馳せていたので地域の関係者には悲しみが広がっております。
行ったことあります。
始めはいろんな意味でびっくりしました。(笑)
けど、昭和がドンドン薄らいで行くことに寂しさがあります。
(T_T)
9月から体調崩されてお店閉めてたんですね…
寂しくなります
もう1度食べたかった
昭和の時代が遠くなっていくことにノスタルジーを感じている世代も多いようです。
今回はこの坂田チヨノさんの死去について取り上げます。
坂田チヨノ死去で死因は病気or老衰?
坂田チヨさんの死去は西日本新聞などが以下のように報道しております。
北九州市の庶民の味「小倉焼うどん」発祥の店として知られる1945年創業の「だるま堂」(同市小倉北区)の2代目店主、坂田チヨノさんが6日、82歳で亡くなった。
初代に当たる坂田さんの親戚が、戦後の食糧難に焼きそば麺の代用品として干しうどんを使ったのが小倉焼うどんの始まり。
「だるま堂のおばちゃん」と親しまれた坂田さんが約60年守り続けてきた味は、今や小倉を代表する名物にまで育った。
生前の坂田さんによると、だるま堂は戦後すぐ、バラックの飲食店などが並んだ「鳥町食道街」に開店。
長崎県出身の坂田さんは60年ごろ、だるま堂を開いていた親戚を頼って夫と一緒に小倉へ。坂田さんは店を手伝いながら焼きうどんのレシピを覚えたという。
間もなく店を継ぎ、「初代の味を守ってきた」と自負していた。
出典:西日本新聞
82歳という年齢で死去したとのことですが今年の9月からは体調をくずしてお店には立たれてはいなかったようです。
しかし、82歳までお店にでてお客と触れ合っていたので重篤な病気ではなかったのではないのかと推測できます。
がんやリウマチなどになると接客や調理などは次第に困難となってきます。
もしかすると82歳という年齢からすると老衰の可能性も考えられます。
詳細は詳らかにされれはいませんがこの後に続報が入れが報告させていただきます。
小倉焼うどん発祥の店のだるま堂(小倉北区)の後継者は?
小倉焼うどんの発祥の店として有名だった「だるま堂」ですが小倉北区にありました。
小倉駅からほど近いところにあるお店です。
坂田さんの息子さんは飲食業ではないようで年齢もおそらく60代ほどと思われます。
後継者に家族や親せきの可能性がほとんどないなか伝統の味をどう守るのかが注目されております。
小倉には町おこしに焼うどんを活用していきたいとの思いがあり「小倉焼うどん研究所」という団体があります。
お店の名前を守るためにはこの「小倉焼うどん研究所」が主体となって存続を検討していく方向性のようです。
ネットの反応
ご冥福をお祈りします。
そうなんですか? おいしいです。