元官房長官や自民党の総務会長などを歴任してきた村岡兼造氏が死去いたしました。
死因は胃ガンということですが享年88歳という年齢での逝去となりました。
政界の中心にいたと同時にヤミ献金疑惑などもあり政治資金規正法違反により在宅起訴されたこともあります。
小泉政権発足のキーパーソンであったこともあり政界では今回の訃報を受けて驚きが広がっているようです。
今回は元官房長官などをつとめた村岡兼造氏の死去に関して取り上げます。
村岡兼造が死去 死因は胃ガン
村岡兼造氏の死去に関しては読売新聞などが以下のように報じております。
官房長官や自民党総務会長を務めた元衆院議員の村岡兼造(むらおか・かねぞう)氏が25日、胃がんのため東京都内の自宅で死去した。88歳だった。
秋田県出身。秋田県議などを経て、1972年の衆院選で初当選し、通算9回の当選を重ねた。2003年の衆院選で落選し、政界から引退した。
郵政相、運輸相を経て、1997年の第2次橋本改造内閣で官房長官に就任した。99年には小渕派(当時)の会長代理に就任。橋本派に衣替えしてからは、橋本竜太郎・元首相や野中広務・元幹事長らによる集団指導体制の一角を担った。
出典:読売新聞
秋田県議からのたたき上げで国会議員になり合計で9回の当選回数を重ねてきました。
郵政大臣や運輸大臣など有力ポストをこなし官房長官にまで至るのはかなりの能力がないとできないと評されております。
村岡氏の死因は胃ガンですが年齢的にも何らかのがんに罹患するのはいたし方のないことなのかもしれません。
最終的には抗がん剤などをして緩和ケアになり息を引き取ったようですが政界の要所で全体の流れを決める決断をするなど印象的な政治家と評されております。
毒まんじゅうを食らった?
村岡兼造氏のことを調べると「毒まんじゅう」ということばがでてきます。
この「毒まんじゅう」とはいったい何のことなのでしょうか。
2003年の自民党総裁選で村岡氏は所属派閥の藤井氏を支持しないで他派閥の小泉純一郎氏の支持に回りました。
このことを野中広務氏が「毒まんじゅうを食らった」といったとのことですがこの言葉は当時流行語大賞になるほどインパクトのある言葉となりました。
小泉政権の流れの一部を担っていたという意見もあります。
田中角栄からの鉄の結束がここでもほころんでいたということも理解できます。
嫁や息子の現在は
嫁の情報はほとんどありませんが息子は現在政治家です。
村岡敏英衆議院議員で現在59歳です。
日本維新の会の国会委員長代行や民進党服幹事長などを歴任しており衆議院銀としては2期目となっております。
兄もいて秋田県知事選に出馬するなど政治家一家といえるようです。
ネットの反応
父方祖父母が秋田です
お悔やみ申し上げます由梨本庄のご出身だったのですね
日歯連事件では苦労されたようですが、天寿を全うされてよかったと思います最近は、秋田も標準語になってしまって寂しいです
秋田新幹線の車内販売は秋田弁でやってみてほしいものです。秋田弁は懐かしいし、かつ、方言を聞くと、旅気分を感じることができるからです
いくら懸命に丁寧に話しても、すごくなまっていたのを覚えています。合掌。
この秋田なまりのおじいさん、若い時は慶應ボーイだったのか!
すいません。知りません
毒まんじゅうの件が年配の方には記憶が強いようです。
学歴に関しても慶応卒で秋田なまりの喋りがインパクトを残したようです。