こんにちは!Spread Box編集部の日比谷です。
元ヤオハンの代表者であった和田一夫さんが死去されました。
熱海市の青果商から国際的な流通網を築きあげいち早く中国市場にも参入していました。
しかし、時代を読むのが早すぎたのか上手くいかないときもありました。
最盛期には400店以上の店舗網を持つ総合スーパーに育て上げました。
ドラマの「おしん」のモデルになったとも言われる方です。
今回はそんな元ヤオハングループの社長だった和田一夫さんにスポットを当ててみたいと思います。
死因は老衰 和田一夫(元ヤオハン代表)が死去
今回の訃報については地元の静岡新聞などが以下のように報道しております。
熱海市を発祥の地とし、昭和から平成にかけて国内外に総合スーパーを展開した元国際流通グループヤオハン代表の和田一夫(わだ・かずお)氏が19日午前2時54分、老衰のため伊豆の国市の自宅で死去したことが28日、分かった。
90歳。熱海市出身。
近年はふるさとの伊豆で暮らしていた。
昨夏には熱海市で元社員らを招き「お詫(わ)びと感謝の会」を開いた。
出典:静岡新聞
90歳で死因については老衰と発表されております。
大きな病気などの報道はなかったので、晩年まで元気に過ごされていたようですね。
1971年にはすでにブラジルなどの海外展開を考えていたということで先見の明があった異色の経営者でありました。
最大で16か国・地域に400店舗以上のチェーン展開をしていた時代の寵児とも言われる存在でした。
昭和の名経営者がまた一人死去し時代の変遷を感じざるをえません。
学歴や経歴と流通グループの現在は?
和田一夫氏は静岡県内で幼少期をすごし、大学は日本大学経済学部に進学いたしました。
大学で経営なども学んだのでしょう、その後は熱海の実家を大きくしてグローバルストアに躍進させました。
しかし。90年代に資金繰りが悪くなり97年には静岡地裁に会社更生法を申請しております。
現在はイオングループの支援を受けて「マックスバリュ東海」として経営再建しております。
ネットの反応
今回の出来事を受けて世の中はどのように反応しているのでしょうか?
SNSなどのコメント欄に書かれたユーザーの意見を抜粋したいと思います。
ヤオハンというと直ぐに思い出すのがドラマのおしんだなぁ。
モデルになっているという事で、放送時にかなり話題になったし。ヤオハンには思い入れが大分ある。
NY州に居た時に最初に出来た本格的な日本人向け食品店が
ヤオハンだった。それまでは韓国人が経営する店にランダムに
置かれていたり、キッコーマンなどはアメリカで生産した醤油を
現地スーパーで販売したりしていたけど、日本の菓子類や日用雑貨
など本格的に扱ってくれたのはヤオハンだった。
始めて行って、サンリオの筆箱を親に買ってもらったのを
未だに覚えてる。
小売業は時代の荒波に飲まれ続けてきましたからね。
特にスーパーはGMSのブームに、西友のウォルマート買収に…
そして今ではアマゾンの台頭に代表するネットショッピングの台頭以前アルペンの改革をテレビ特集で見ましたが、倒産や赤字転落の教訓というのは活かされるといいですね。
大手になるとなかなか、動きが鈍くなりますから
この方のヤオハン倒産後を追ったドキュメンタリー番組を見たことがあるけど、一時は海外に雲隠れしたけど、これじゃいけないと思ってすぐ日本に戻り、自分の驕り高ぶっていたことや倒産の原因などを分析して、次世代の経営者たちの教訓にする講演会をやってて、自分の汚点を後世の若者たちの役に立てようとする姿がとてもすごいなっと思った。
小学生の時地元の駅前に開店したときは本当にセンセーショナルでした。大きなデパートにいくには隣の市に行くしかなかったですから。
本も服も文房具もご褒美はヤオハンで買ってもらいました。
今ではめずらしくない、自分でトレイに乗せてレジに持っていくスタイルのパン屋もここが人生で初めてでした。小さくなって行った時、駅前から撤退してしまった時、寂しかったなあ。
たくさんの思い出をありがとうございました。
日本大学の講演会で一度お話をきいたことがあります。
その時は19歳の学生だったのでありがたみが全く分からなく、おじいさんが何か話してるなくらいでしたがもっと真剣に聴けばよかったです。
最後までご覧いただいてありがとうございました。
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