【死因:腸管感染症(病気)】佐藤茂富氏が死去 甲子園の独特のトレーニング方法とは?

こんにちは!Spread Box編集部の日比谷です。

砂川北(現砂川)高校や鵡川高校の野球部監督だった佐藤茂富氏が腸管感染症の病気で死去いたしました。

79歳で永眠されたと日刊スポーツなどは伝えております。

佐藤氏は大学卒業後、栗山での監督を振り出しに、高校野球の指導一筋。砂川北では打撃重視のチームをつくり春1度、夏2度の甲子園出場を果たした。

97年8月に鵡川監督に就任すると「元気、本気、一気」をモットーに、02年センバツに21世紀出場枠で甲子園初出場。

「1つアウトを相手にあげるのが嫌」と、犠打を好まない大胆な攻撃的スタイルで初勝利に導いた。

独特な指導法は、教え子たちの間で語り継がれている。

92年夏の甲子園に砂川北の投手として出場した北海道高野連の横山泰之専務理事(45)は「試合では細かい指示はなく“投手は速い球を投げろ。
打者は遠くに飛ばせ”というのが印象的でした」と振り返った。

死因は腸管感染症 佐藤茂富氏が死去

高校野球で合計4度の甲子園出場を果たした佐藤茂富元監督が死去いたしました。

1971年に砂川北に赴任して春の甲子園1度と夏の甲子園2度の出場を果たしました。

1997年からは鵡川高校の監督になり2002年に21世紀枠出場で甲子園に導きました。

ひとつでもアウトを上げるのがいやというスタイルでバントなどを好まない独特のスタイルで人気がありました。

甲子園の独特のトレーニング方法とは?

1980年代にNASAが使っていたというひもを使用したトレーニングをしていました。

通称「アポロトレ」と呼ばれていたもので筋トレに使われていました。

9人ぎりぎりの野球部から甲子園の出場に導くなど監督や指導者としての能力が高く評価されておりました。

最後年は札幌市で生活されていたようで丸山球場にも足を運んでいたそうです。

ネットの反応

今回の出来事を受けて世の中はどのように反応しているのでしょうか?

SNSなどのコメント欄に書かれたユーザーの意見を抜粋したいと思います。

北海道の宝だったな

惜しい人をなくした

心からご冥福をお祈りいたします。

とにかくトレーニングがユニークで有名だった。

見ているこちらも楽しく見させていただいていた。

安らかにお眠りください…

最後までご覧いただいてありがとうございました。
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