【経歴】渡部恒三が死去|死因は病気?息子は誰で小泉純一郎との関係は

元衆院副議長などを務めたの渡部恒三氏が死去いたしました。

渡部氏の享年88歳での訃報は政界や地元の福島県で大きな話題となっているようです。

Twitterなどでも渡部恒三さんの死亡の報を聞いて死を悼む書き込みがたくさんあるようです。

ズーズー弁が売りだったね。人がよさそうな好々爺。
「政界のご意見番」と言われたけど、仲裁に入ってもまとまらないが、憎めない人物でした。
ご冥福をお祈り申し上げます

話し方が独特で、悪い印象はなかった。良き時代の政治家。ご冥福を祈ります。
日本の将来を見守ってください。

渡部恒三さんの人柄を感慨深く思い出しているような投稿がたくさんあるような感じです。

今回は衆院副議長や通産大臣などを歴任して渡部恒三さんの死去に関して取り上げます。

渡部恒三が死去|経歴

渡部恒三氏の死去は福島民友新聞などが下記のように経歴とともに報道しております。

元衆院副議長で通産相などを務めた渡部恒三(わたなべ・こうぞう)氏は23日午前2時8分、死去した。88歳。

渡部氏は南会津町(旧田島町)出身、会津高、早大第一文学部卒。内閣官房副長官などを務めた八田貞義氏の秘書や県議を経て、1969(昭和44)年の衆院選で37歳で初当選。

14回連続当選を果たした。83年に第2次中曽根内閣の厚生相として初入閣し、自治(国家公安委員長)、通産の各相を歴任した。92年には通産相として本県での四極通商サミットの開催に尽力。96年から2003年まで衆院副議長を務めた。

 無所属での初当選となったが、幹事長を務めていた田中角栄氏の計らいで自民党に追加公認。党内では国会対策委員長などを務め、竹下派七奉行の一人と目された。93年に自民党を離党し、羽田孜、小沢一郎両氏らと新生党を結党。後に新進党、民主党でも要職を務め、2012年に政界を引退した。

出典:福島民友新聞

渡部恒三氏は田中角栄氏に認められて自民党入りしその後は竹下派での存在感を示しておりました。

厚生大臣や通産大臣、自治大臣など各大臣を歴任し衆議院副議長も務めるなど多大な功績がありました。

死因は病気?

渡部恒三氏の死因は何だったのでしょうか。

渡部氏の死亡の原因などは現在公表されておりません。

しかし、88歳という年齢ということもあり何らかの病気により死去したのではないかと考える方が多いようです。

息子は誰

渡部恒三氏の息子は誰なのでしょうか、そして何をしている方なのでしょうか。

息子さんは渡部恒雄氏で現在56歳ということです。

東北大学歯学部を卒業し、様々な研究機関で研究員などをしております。

メディアのコメンテーターなどもつとめておりますが政治の世界には入りませんでした。

ネットとTwitterの反応

渡部恒三氏の死去に関してはネット上でも大きな注目を集めております。

Twitterの反応をいくつかピックアップしてみました。

大したことないことでも、ニコニコ顔で言うから憎めない人だった。
民主党じたいは評価しないが、「永田メール事件」で存亡の危機に陥った党を建て直した功績は立派だと思う。

ご冥福をお祈りします。

良くも悪くも個性のある政治家で、自分の意見は持っている人だなとは感じていた。

何を考えているかわからないような政治家さんとは違い、渡部氏は間違っていることは間違っていると強い口調で言い分けるところが好きでした。
こういう考え方の政治家がもっと増えれば今のような矛盾だらけの国会にならないと思いました。

良いことも悪いこともあったけど、好きだったな。何をしても憎めないお爺ちゃんでした。
民主党政権の時、もしも彼がトップだったらどうだったか、そう考えても仕方ないのかもしれないけど・・・そんなのを見てみたかったな。
会津の議員から総理は未だに出ていないっていうのもあるけど。何だか寂しいな。

お疲れさまでした。ゆっくりと休んでくださいね。
合掌。

小泉純一郎との関係は

渡部恒三氏の名前を検索すると「小泉純一郎」氏の氏名が出てきます。

この渡辺氏と小泉氏の関係はどのようなものなのでしょうか。

調べてみると竹下内閣の時に渡部恒三国対委員長と小泉純一郎国対筆頭副委員長という立場で上司と部下という関係がありました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です