小島一慶死去|死因は肺がんの病気!女性不祥事とは?【訃報】

フリーで活躍していたアナウンサーの小島一慶さんが死去いたしました。

死因は肺がんの病気ということで享年75歳でした。

元TBSのアナウンサーで軽妙な語り口が人気でファンも多かったアナでした。

女性問題が無かったら、みのもんたと同じ位は活躍してたと思う。

小島さんと言えば『ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空』で案内役をしていた事を思い出す。特徴ある声で、好きでした。
天国でそんごくう(志村けんさん)とさんぞうほうし(いかりや長介さん)と再会となりますね。

高い声で特徴がありやはり軽妙と形容される語り口でアナウンサーながら人気がありました。

今回はそんな小島一慶さんの死去に関して取り上げます。

小島一慶死去(死亡)

元TBSアナウンサーの小島一慶さんの死去はこのように速報されております。

TBSの深夜ラジオ「パックインミュージック」のパーソナリティーなどを務め、1970代から80年代にかけて絶大な支持を集めたフリーアナウンサーの小島一慶(こじま・いっけい、本名一慶=かずよし)さんが23日、肺がんのため、都内の病院で死去した。75歳。長崎県出身。

TBSの局アナながらいくつもの冠ラジオ番組を持ち“ラジオ界のレジェンド”として人気を博した。

深夜番組で若者層を開拓。TBSの後輩生島ヒロシ(69)も「話のデフォルメをさせたら当代一だった」と敬意を抱く存在だった。

小島さんは元々役者志望で舞台中継を希望していたが、68年にTBSに入社してアナウンサーに。

独特の甲高い声と軽妙な語り口が持ち味で、先輩の久米宏に続いて人気番組「ぴったし カン・カン」の2代目司会者を務めた。90年に同局を退社し、フリーに転向。

出典:スポニチアネックス

ぴったしカンカンの2代目の司会者や飛べ孫悟空などでのナレーションで本当に大人気でした。

現在のアナウンサーの立場を形成していった初期の代表的な局アナだったのかもしれません。

小島さんはその後不祥事を起こしてしまいますが年齢も見た目も若く女性にもとてもモテたというハナシも伝わってきております。

死因は肺がんの病気!訃報

小島一慶さんの死因は肺がんの病気ということです。

最近有名人の方の訃報が多いように感じますが小島さんに関してはコロナとは関係が無いようです。

おそらく後年は肺がん治療のため抗がん剤などを使用していたと思われ免疫がさがっていた可能性もありますが直接の死因は肺がんということです。

ちなみにフリーアナウンサーの小島慶子さんとは名前が似ておりますが兄弟や親せきなどではないとのことです。

小島慶子さんもよく兄弟ですか、などと質問を受けていたようです。

女性不祥事とは?

小島一慶さんを検索すると「不祥事」という文字が出てきます。

女性に関する不祥事などがあったのでしょうか。

この女性問題の不祥事は何回かあるようです。

1991年の不倫問題や2009年にも女性に関する問題で刑事告訴されるなご不祥事続きだったようです。

他にも女性問題の不祥事があったようでその結果として今でもネットでそのころの問題が書かれているようです。

ネットの反応

生島ヒロシより6歳も年上だったって信じられないんだが。
久米宏、小島一慶、生島ヒロシ、松宮一彦辺りが居た頃のTBSはホントに凄かった。

小島一慶さんといえばTBSの人形劇「飛べ!孫悟空」の解説でもお馴染みでしたね。

小島さんと言えば、先日の志村さんと一緒。
「飛べ!孫悟空」のナレーターが一番印象的なんだよなー。

生島さんのコメントが全て。喋らせたら聴く人の耳を掴んで離さない語り口調だった。落語では無くまるで徐々にボルテージを上げる講談に近かった。そんな声が今でも耳に残っています。番組で印象的だったのは久米さんとのコンビの日曜朝のリクエスト番組。洋楽も邦楽も聴けた。声のお仕事はお幾つぐらいまで出来ていたのだろう?多くの人に自分の輝いていた時代をこうして語って貰えるのは幸せだと思う。合掌。

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