特撮作品の監督の矢島信男さんが91歳で死去いたしました。
特撮研究所を自ら設立して映画などの特殊な撮影を研究する場をつくりました。
映画だけでなくテレビの世界の特撮の技術の向上に寄与してきたのが矢島さんです。
矢島監督がお亡くなりになりました。
東映・円谷プロ・ピープロ等で活躍され、テレビ特撮の印象が強いですが『宇宙快速船』や『宇宙からのメッセージ』のような映画でも手腕を発揮されました。
91歳とご高齢なので仕方ないのですが残念です。
心より ご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/fNHgqrg5Vy
— AndroMEGA (@AndroMEGA18) November 29, 2019
矢島さんの訃報は日本アカデミー賞協会が発表したことからも日本の映画界との関係の深さがうかがえるとネットで話題です。
今回はこの特撮の第一人者であった矢島信男さんに関して取り上げます。
死因は病気か?矢島信男(特撮研究所会長)が死去!
特撮の第一人者の矢島信男さんが死去した報道はスポニチなどがこのようにしております。
「人造人間キカイダー」「魔界転生」など、さまざまな作品を手掛けた特撮監督の矢島信男さんが28日、死去した。
91歳。埼玉県出身。29日、日本アカデミー賞協会が発表した。
「特技監督の矢島信男さんが11月28日に逝去されました。
長年にわたり映画・テレビにおける特撮技術の基礎を築かれ、日本アカデミー賞では第34回に『協会特別賞』を受賞されています。
謹んでご冥福をお祈りいたします」
出典:スポニチ
矢島信男さんの死去に関してその死因が注目されております。
現在の報道では直接の死因などは触れられておりません。
91歳という年齢を考えると老衰の可能性もありますが高齢ということでがんなどの悪性新生物での死因も考えられます。
日本アカデミー賞協会の発表では上記のように死因に関しては触れられておりませんので今後新たな発表があればこちらのサイトにもアップロードしていきたいと思います。
学歴と経歴
矢島信男さんは埼玉県の大宮市出身で東京物理学校理化学科を卒業されております。
この学校は東京理科大学の全身の学校で当時から物理などを学び特撮の仕事につながっていったことがうかがえます。
卒業後は松竹に入社し大船撮影所で勤務しておりました。
松竹大船撮影所の特殊技術課の川上景司さんの門下生となり一時代の松竹のマークも矢島さんがデザインしていたとのことです。
1959年に東映に移りましたが最初はスタッフは2人のみという陣容だったとのことです。
そして1965年に特撮研究所を設立して所長となります。
2011年には日本アカデミー賞・協会特別賞を受賞しております。
嫁と子供は映画監督と関係している?
矢島信男さんの情報の中では結婚相手となる嫁や子供のことが全く出てきておりません。
もしかすると生涯独身で妻や子息はいなかった可能性があります。
日本アカデミー賞協会が矢島さんの死去を発表したのもそのあたりのことが関係しているのかもしれません。
ネットの反応
ゴレンジャーは勿論、
バトルフィーバー、デンジマン等々の
戦隊シリーズ、里見八犬伝も
そうだったかな、枚挙に暇が無い
正に特撮界の巨匠ですよね。
御冥福を。
「宇宙からのメッセージ」の特撮は、最高にかっこよかった。
その後の「宇宙刑事シリーズ」なども、最高だった。日本の特撮はショボイという世間の批判など、自分は感じなかった。
本当に悲しいです。
円谷もそうだけど、毎週放映できる手軽な特撮の技術を開拓した意味は大きい。
お金をかけない身の丈の特撮。
これはこれで日本のテクノロジーだからきちんと伝承して欲しい。
デジタルで何でもできる世の中だけど、敢えてアナログの技術は撮り方として映像業界の方達には勉強していただきたいものです
初期の戦隊はまさにこの人あればこそだった。子供時代は何も考えずに受け止めていたが、大人になってから改めて見ると、無数のワイヤーを使用したというあのロボの合体シーンは本当に凄い技術であると痛感させられる!CGの無い時代であった事を考えても、矢島監督が如何に偉大だったかがよくわかる!御冥福をお祈りします…