東京オリンピックの閉会式でのダンスが話題となっております。
話題の踊りを全世界に見せたのは「アオイヤマダ」さんで日本では多くのアーティストのミュージックビデオなどに出演されております。
注目された閉会式ですがつまらないなどの感想を持った方も多いようです。
アオイヤマダさんのダンスには多くの方が注目することになりました。
SNSでもアオイヤマダさんのダンスはかなりの話題となりました。
多分すごいダンサーですごいダンスなんだろうけどなー、知なさらなくてすみません。
コロナで人が使えないならプロジェクションマッピングだらけにするとかドローンまみれにする方が中途半端にするより良かったんじゃと素人は思いました。
今回はオリンピックの閉会式の踊りで注目されたダンサーのアオイヤマダさんに関して取り上げます。
アオイヤマダの閉会式のダンス
東京オリンピックでのアオイヤマダさんの閉会式における踊りは下記のように報じられております。
東京オリンピック(五輪)閉会式が2021年8月8日に東京・国立競技場で行われ、斬新な衣装に身を包んだダンサーにSNSで注目が集まった。
踊りを披露したのは、ダンサーのアオイヤマダさん(21)。アオイさんは、米津玄師さんの楽曲「Flamingo」やBABYMETALの「Starlight」など、多数のミュージックビデオやCMなどに出演している。
閉会式には、緑を基調とした短冊が連なったようなデザインの衣装で出演した。NHKによれば、大地に根を張る木をモチーフにしているというが、ネット上では「ワカメみたいな衣装」との反応も出ていた。
出典:J-CASTニュース
アオイヤマダさんの東京オリンピックでの閉会式でのダンスは特徴的なもので議論を呼んでいるようです。
中には怖いなどの感想を持っている方もいるようです。
アオイヤマダさんは米津玄師さんのミュージックビデオへ出演するなど実力派のアーティストです。
出身中学高校の学歴
アオイヤマダさんの出身中学や高校などの学歴にも関心を持っている方も多いようです。
どちらの中学校や高校の出身なのでしょうか。
アオイヤマダさんは長野県出身のダンサーです。
出身中学校は長野県松本市の女鳥羽中学校です。
高校は星槎高校の卒業ということですが中学を卒業後単身で上京したとのことです。
そのバイタリティーやプロフィールに感嘆している方もいるようです。
母父の家族構成は?
全てを水に身を任せると、
臓器のすみっこのたまった空気を知ることができる。
そういう環境にならないと、
分からないことがある。水辺で遊ばれる機会が増えますね。
くれぐれもお気をつけて、
楽しんでください。
よき八月を。photo @TomohideIkeya pic.twitter.com/nUWN4i9Ddr
— アオイヤマダ(AOI YAMADA) (@aoiyamada0624) August 2, 2021
アオイヤマダさんの母親や父親は有名なダンサーなのかなどの話題もあるようです。
どのような家族構成なのでしょうか。
具体的な家族構成は公表されておりませんが、母親がユニークな女性だったようです。
かなりアクティブな女性だったということですがそのような行動が現在のアオイヤマダさんのダンスのオリジナリティにつながっているのかもしれません。
ネットの反応
ネット上では東京オリンピックの閉会式の賛否両論があるようです。
アオイヤマダさんのダンスにもいろいろなコメントがあるようです。
注目されて議論を呼んでいるということで正解なのではなどの意見もありますが、幼い子供が怖がってしまったなどのコメントもあります。
この後はパラリンピックの開会式がどのような構成や演出となるのか注目されます。
衣装も演出も全てが「昭和」。
だからこそ64年の東京五輪をモチーフにしたものや、思い出に浸れるような演出や仕掛けが随所に登場する。もう昭和から平成、そして令和になったのに、結局今回の五輪を仕切っている人たちの思考は昭和のままで思考停止しているということだろうと思う。
ほんと開会式に閉会式、何ともまあヒドイ演出でガッカリした。
競技そのものは盛り上がったのが
あのダンサーの衣装とパフォーマンスは
海外の人たちが見ただけでは理解できない。
日本人でさえ全く分からんかったよ。
昭和の価値観満載でディレクターの才能の無さを大いに感じてしまった。
参加者にとってプログラム構成と中身は退屈だったと思う。意味不明な東京の公園の日常等のパーフォマンスよりは秋田の竿燈や青森のネブタの方がより感動を呼んだかもしれない。また、コンピュターグラッフィクでは、会場の参加者は画面で見るだけで感動はないだろう。参加者のための閉会式では無く、TV視聴者用の閉会式だったのだろう。正に、参加者は意味不明なバラバラなとりとめの無いパーフォマンスを見せられただけで、参加者ファーストでは無い演出だったということ。