お笑い芸人の桶田敬太郎さんが死去いたしました。
コンビでフォークダンスde成子坂を結成しておりましたが48歳という年齢での訃報をきくことになってしまいました。
ショックです。
爆笑問題の太田さんに「天才過ぎたが故に売れなかった」と言わしめた、才能溢れる芸人さんでした。違う事務所に入っていたら今でも活躍していたのかな。
ボキャブラ時代は大好きなコンビだった。シュールだが外れすぎず面白かった。なんとなく天才型の2人だったが運に恵まれないコンビだったのかもしれない。ご冥福をお祈りします。
フォークダンスde成子坂の二人は天才過ぎて時代がついていけてなかったなどのコメントもあるようです。
今回は40代で逝去した桶田敬太郎さんの死因などに関して取り上げます。
【死去】桶田敬太郎の死因は病気or事故?
ボキャブラ世代で大好きな2人だった??
あの頃はくりぃむしちゅーさんも海砂利水魚で、バカリズムさんもコンビだった気がする。
沢山の笑いをありがとう??#フォークダンスDE成子坂#戦慄の不協和音元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんが死去 https://t.co/CUecFaVJq3 pic.twitter.com/VHF0RLwVWL
— シャンプーちゃん。 (@odango0315) February 26, 2020
桶田敬太郎さんの死去に関してはデイリースポーツなどがこのように報じております。
「ボキャブラ天国」などで活躍したお笑いコンビ・フォークダンスde成子坂の元メンバーだった桶田敬太郎さんが昨年11月23日に亡くなっていたことが27日までに分かった。48歳。
桶田さんが取締役を務めていた芸能プロダクション「MR」がホームページで「桶田敬太郎は、広く創作活動に勤しんで参りましたが、昨年11月23日に病により永眠いたしました」と発表した。詳細な死因などは公表していない。
葬儀・告別式、七七日法要は桶田さんの遺志により、近親者のみで済ませたという。お別れの会なども予定されていない。ホームページの最後は「故人が生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げます」と感謝の言葉で締めくくられている。
桶田さんは兵庫県出身。村田渚さんとのコンビ「-成子坂」としてフジテレビ系「ボキャブラ天国」などで活躍した。ボキャブラが終了した99年にコンビは解散し、その後はバンド活動などを経て、放送作家として活躍していた。
「-成子坂」の元相方・村田さんは06年11月に、くも膜下出血で35歳で死去している。
出典:デイリースポーツ
フォークダンスde成子坂の二人はすでにどちらも死去してしまったことになります。
ファンからは悲しみのコメントがツイートされておりますが二人とも早すぎる逝去でお笑い業界には衝撃がはしっているようです。
そんな桶田敬太郎さんの死因はなんだったのでしょうか。
病気や事故の噂がありましたが報道の中で「病に」倒れたとの記述があります。
何らかの急性の病気が原因で死去したのかもしれません。
あるいは急激に発達するがんなどの悪性腫瘍関係の病気も考えられますが病に関する詳細な公表はされていないようです。
経歴学歴
桶田敬太郎さんの経歴や学歴はどのようなものだったのでしょうか。
桶田さんは兵庫県尼崎市出身ですが小学生の時に三重県に移り住みます。
したがって高校は三重県内の学校のようです具体的な高校名は判明しておりません。
その後は大学には進学せず上京しお笑い芸人になりました。
1990年に中学時代の同級生と組んだお笑い芸人のフォークダンスde成子坂を結成しテレビにも出るようになります。
そして1999年にはコンビを解散し自身の音楽活動などに邁進していたようです。
近年はユーチューブにもチャンネルを開設しこれからさらに活躍しようという矢先の死去で関係者は本当に残念がっているとのことです。
松本人志との関係
松本人志さんは発言の中でフォークダンスde成子坂のことに言及しておりました。
しかし、桶田さんではなく相方のことを絶賛するという内容でしたがこの後輩のコンビに対するリスペクトがあったのは間違いないようです。
桶田さんに関しては爆笑問題の太田さんからは才能を認められておりフォークダンスde
成子坂の二人はどちらも才能を認められていたようです。
早過ぎる二人の死去に悲しい気持ちになります。
ネットの反応
桶田さんは天国で相方だった村田さんに再び会えたかな?
ご冥福をお祈りします。
村田さんはラジオ番組で酷い頭痛に悩まされていると言っていたが相方さんもか、まだ若いのに残念ですね。
陰謀論が飛び交うほど
なぜ売れなかったのか謎だったコンビ。
東京芸人にいまだに語り継がれるのは
真の実力の証です。
ご冥福をお祈りします。
結構前から芸人さんの界隈で話出てたけど、調べようないし聞くだけだったけど、やっぱり本当だったんだ、このタイミングでの公式発表なのは、なにか遺族との兼ね合いだったのかな。