歌手の梓みちよさんが死去いたしました。
享年76歳ということですがすでに先月の29日に逝去されていたことが公表されました。
こんにちは赤ちゃんなどの昭和の大ヒット曲があり老若男女に愛されていた大歌手が帰らぬ人となってしまいました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
「二人でお酒を」は父と母のテーマソングみたいなもので
また昭和のスターが旅立たれるのを悲しく思う次第です。
メランコリーや二人でお酒をは青春時代の思い出としてハッキリと。こんにちは赤ちゃんはうっすらと覚えています。最近テレビであまりお見掛けしませんでしたが、療養生活にでも入られていたのでしょうか。ご冥福をお祈りします。
Twitterのコメントでは昭和の時代がまた遠くなったというような意見が多いような感じです。
今回は梓みちよさんの死去の原因などに関して調べてみました。
訃報 死因は病気?梓みちよさんが死去
梓みちよさんの死去はスポニチなどがこのように報道しております。
「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」などの大ヒットで知られる歌手の梓みちよ(あずさ・みちよ、本名林美千代=はやし・みちよ)さんが1月29日に亡くなっていたことが3日、分かった。76歳。福岡県出身。
「ボサノバ娘」のキャッチフレーズで1962年、シングル「ボッサ・ノバでキッス」でデビューした。翌63年、NHK「夢であいましょう」の今月の歌コーナーで発表された「こんにちは…」(作詞永六輔、作曲中村八大)がミリオンセールスを記録し、同年の日本レコード大賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場し、69年まで7年連続で出場した。
64年には学習院初等科の同窓会に招待され、昭和天皇の前で「こんにちは…」を御前歌唱し、初の天覧歌謡曲となった。梓さんの代表曲となった一方で、清純派のイメージが固定化され、脱却できないもどかしさから猛反発して歌わない時期もあった。
86年放送のフジテレビ系「さんまのまんま」では、明石家さんま(64)にシャンパンをかけ、お茶の間を凍り付かせた。その後、梓さんがさんまに謝罪し、番組の名場面集でも取り上げられる名シーンとなった。
出典:スポニチアネックス
梓みちよさんはまさに昭和を代表する歌手でした。
紅白歌合戦にも合計で8回も出場するなど国民的なシンガーとして時代を超えて認知されてきました。
そんな梓みちよさんですが死因などは公表されておりませんでした。
梓さんは70代ということもあり、がんなどの高齢になると比例して増えていく病に侵されていたのかもしれません。
今後の報道で梓さんの死因などが判明する可能性もありますのでその際にはこちらでも追記していきたいと思います。
本名は?
梓みちよさんの本名はなんというのでしょうか。
調べてみると梓みちよさんの本名は「林美千代」さんということがわかりました。
下の名前は美千代さんなのでひらがなにしただけですね。
苗字は林では一般的過ぎてインパクトがないので梓というあまりないものにしたのかもしれません。
結婚と旦那は?
梓みちよさんは結婚していたのでしょうか。
wikipediaなどにもありますが1971年に役者の和田浩治さんと結婚しております。
和田さんが旦那だった期間は約1年間で翌年には離婚をしております。
その後再婚などして新しい旦那がいたような報道はないようなので結婚は一回していたようですね。
ネットの反応
梓さんの死因などははっきりしておりませんが今回の訃報を悲しんでいる往年のファンはたくさんいます。
昭和がまた一つ消えてしまったという感じでしょうか…
昭和がどんどん消えていく。
時代を彩ってきた方々が天国に召されていくのはさみしいですね。
今の時代では、歌唱力だけで、売れる歌手なんて、ほぼいない。
AKB等、下手でもできる歌手って職業になってしまった。
本当の歌手こそ昭和にあるのに。。。
その昔,東尾修投手と色々とあったのだが,当時はそれで叩かれたりは
しなかった。おおらかでよい時代だった。今だったらバッシングの嵐だ
ろう。
こんにちは赤ちゃん、名曲です。
赤ちゃんが生まれたときのあの嬉しさ、赤ちゃんの無垢の姿を見たとき、母になったあの感動を思い出す曲です。
ご冥福をお祈りいたします。
「さんまのまんま」で明石家さんまから、「まだあの人(東尾修)とつきおうてはるんですか?」と聞かれて激昂、さんまにワインをかけた。で、写真週刊誌にもその顛末が掲載されて、梓みちよはしばらく、関西テレビやフジテレビには出なかったと思う。
1979年の「よろしかったら」は、ジュディ・オングの「魅せられて」のヒットにより、同じような大人の女路線の歌をという女性歌手が増え、第2弾として、筒美京平が書いた曲。