最後のバンカーとも言われた西川善文さんが死去いたしました。
西川さんは享年82歳ということで三井住友銀行の合併後の初代頭取など難しいかじ取りをたくさんしてきた人物です。
日本郵政の初代社長もつとめその会見などは印象的で記憶に残っている方も多いようです。
ネット上では西川氏の業績にいろいろなコメントがあるようです。
整理整頓はさすが銀行マン
何度かお酒の席で同席させて頂きましたが、とても温厚な性格で話しやすかったです。ご冥福をお祈りします。
今回は「ラストバンカー」とも称される西川善文さんの死去に関して取り上げます。
西川善文死去で死因は病気?
大手銀行の再編を主導し、三井住友銀行の初代頭取や日本郵政の社長を務めた西川善文氏が死去しました。82歳でした。https://t.co/u8vBkw4DNc
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) September 11, 2020
元三井住友銀行の頭取で最後のバンカーと報じられる西川善文さんの死去は朝日新聞が下記のように記事にしております。
三井住友銀行初代頭取や日本郵政初代社長を務めた西川善文(にしかわ・よしふみ)さんが11日死去した。82歳だった。葬儀は親族で営む。
住友銀行(現・三井住友銀行)に1961年に入行。70年代後半、総合商社・安宅産業の経営危機の処理で頭角を現した。
バブル景気の後は中堅商社イトマンなどの不良債権問題の処理に奔走。97年に頭取に就いた。
金融再編の波の中で、99年にさくら銀行との合併を決断、01年に三井住友銀行の初代頭取に就いた。
05年に頭取を退いたが、小泉純一郎内閣の竹中平蔵総務相に手腕を認められ、06年に日本郵政初代社長に就任。民営化後の日本郵政グループを率いたが09年の政権交代直後に辞任した。
即断即決と強力なリーダーシップで金融危機下の銀行経営を先導し、「最後のバンカー」とも言われた。
出典:朝日新聞
ネット上では様々な西川善文氏への評価があります。
初代の三井住友銀行の頭取に就任しその後には日本郵政でも最初の社長になるなど難しいかじ取りの場面で出てきた人物でした。
小泉内閣の時の竹中平蔵総務大臣に請われて日本郵政の社長に就任した経緯があり政治的にも翻弄されてきました。
死因に関しては報道されておりませんが何らかの病気だったのではと推測されております。
近年はアルツハイマー型認知症の病気になっていたということです。
家族は?
“ラストバンカー”西川善文氏 死去 https://t.co/XavhIHkQlz #tbs #tbs_news #japan #news
— TBS NEWS (@tbs_news) September 11, 2020
西川善文氏の家族などはどのような構成なのでしょうか。
西川氏の家族などの情報はほとんどありませんが、2013年に妻が死去しております。
子供などの情報はネット上には何もありませんでした。
出身高校大学の学歴は
西川氏は奈良県高市郡畝傍町(現在の橿原市)出身ということです。
出身高校は地元の奈良県立畝傍高校です。
大学は大阪大学法学部を卒業しております。
SNSのコメント
TwitterなどのSNSでは西川善文氏への多様なコメントがあります。
82歳での死去ということですが日本の金融のダイナミックな時代を重要な役職で乗り切ってきた人物としての評価があります。
日本郵政の初代社長など困難な局面での仕事ぶりを評価するコメントなどもあります。
一方で批判的な意見もありますが今後の日本の金融の礎の一部を築いてきた人物というのは間違いないように思えます。
民主党の横槍がなければ、今の日本郵政のようなことも無く、もっと早く株式を処分して、完全民営化でまっとうな会社になっていたと思います。短い間でしたが、一緒にお仕事ができて良かったです。ご冥福をお祈りします。
凄い方だとは理解しましたが…最後のバンカーって事は今の銀行には投資銀行家は居なくなってしまったんですね。
偉大な人であることに異論を挟むつもりはないが、最後のバンカーと言う意味がわからない。
ご冥福をお祈りいたします。