歌手の弘田三枝子さんが死去いたしました。
死因は心不全の病気で享年73歳ということでした。
1960年代にヒット曲を連発し紅白歌合戦にも9回出場した国民的女性歌手でした。
今回は弘田三枝子さんの死去や娘さんなどにまつわる記事です。
弘田三枝子が死去で死因は心不全
歌手・弘田三枝子さんが死去 73歳/芸能/デイリースポーツ online https://t.co/AD7c0vg6rB #DailySports
— デイリースポーツ (@Daily_Online) July 27, 2020
歌手の弘田三枝子さんの死去はデイリースポーツがこのように報じております。
歌手の弘田三枝子さん(本名・竹永三枝子)が21日に亡くなったことが27日、分かった。73歳。心不全だった。
所属事務所によると、弘田さんは20日に千葉県内の自宅で倒れ、病院に搬送。21日に亡くなったという。倒れる前日まで変わりなく元気だったといい、すでに親族で密葬を執り行った。
62年に「第13回NHK紅白歌合戦」に出場し、9年連続で出場。その後も「夢みるシャンソン人形」、アニメ「ジャングル大帝」の「レオのうた」、「人形の家」など大ヒットを連発する。
今年はデビュー60周年で、記念曲やコンサートなどを予定していたが、新型コロナウイルスの影響で延期されていた。
出典:デイリースポーツ
弘田三枝子さんは73歳での死亡ということになりましたが死因は心不全の病気ということです。
SNSには往年の弘田さんのファンが追悼のコメントをたくさん書き込んでいるようです。
顔面崩壊とは?
弘田三枝子さんに関して調べていると気になる単語が出てきます。
それが「弘田三枝子 顔面崩壊」という文字です。
ネット上では整形を繰り返していたのではなどの情報がありますが真偽の確認ができておりません。
こちらの顔面崩壊という噂に関しては引き続き調査中です。
若い頃と娘の画像
弘田三枝子さんの若い頃と娘さんの画像などはあるのでしょうか。
弘田三枝子さんの若い頃の画像や写真はネット上にたくさんあります。
ネットのコメント
パンチの効いた歌と声。バケーションは皆真似して口ずさんでた思い出があります。数年後。人形の家を出したとき顔が余りにも違ってて驚き過ぎました。凄く上手い歌手と顔が変わり過ぎたのが想いでの中で折り合いが付かないままでした。
晩年になっても私設ファンクラブのイベントに出席したり
「5時に夢中」でコメンテーターをやってみたり
招かれればどこにでもいくフットワークの軽さと
「こんなとこですいません」とミッツが謝るほどの
ショボいセットでも全力で歌うパフォーマーとしての
プロ根性は最後まで貫かれてましたよね。見た目のことでどうしてもネタにされがちでしたが
そこも含めてみんなミコのことは好きだったんじゃないかな。
昭和のスターの方々が次々と他界されますね。今の令和の時代は自然災害やコロナで生活が一変しています。昭和の時代は今のように便利ではなかったけど、テレビの向こうのスターにワクワクして、憧れて、今考えると良い時代だったのかなぁって思ったりします。時代の流れは凄まじいですよね。また今若い人達に昭和の歌や品物が流行っているって聞いて、嬉しい気持ちですよ。
数年前にテレビで近影を観た時はびっくりしましたが、お茶目な明るい喋り口調は昔と変わっていなかったです。
かなり細身の印象だったので、お身体にも負担があったのではと勘繰ってしまいます。