元農林水産事務次官だった熊沢英昭被告の保釈が先日認められました。
この裁判での東京高裁の裁判長の青柳勤裁判官が実は熊沢被告と元同僚だったとニュースポストセブンが報道しております。
どのような経緯で裁判官が農水省に行くことになったのでしょうか
今回はこの熊沢英昭被告と青柳勤裁判官との数奇な出会いを探ってみたいと思います。
青柳勤裁判官と熊沢英昭被告が同僚になった経緯
青柳勤裁判官が熊沢英昭被告と同僚になった経緯に関してはニュースポストセブンがこのように報道しております。
第一審判決の直後、弁護団は保釈を申請したものの、東京地裁に却下されている。
その後、弁護団は東京高裁に抗告。結果、東京高裁の青柳勤裁判長が、東京地裁の決定を取り消し、保釈金500万円での保釈を認めたのだ。
被告が高齢であることが考慮されたともいわれているが、異例の保釈決定の裏には「奇しきめぐりあわせ」が影響した可能性があったかもしれないという。
大手紙の司法記者が話す。
「熊沢被告に異例の保釈を認めた東京高裁裁判長の青柳氏は、かつて被告の同僚として同じ職場で働いていたんです。
青柳裁判長は、入所7年目だった1987年に裁判官に与えられている『外部経験制度』によって農林水産省食品流通局に2年間の研修に出ています。
その時、同局にいたのが入省30年目だった熊沢被告です」
「熊沢被告は砂糖類課長、青柳氏は企画課長補佐というポジションだったので、直属の上司部下ではありません。
しかし、同じ食品流通局の同僚だったことには変わりない。
当時、同じ部屋で机を並べ、毎日顔を合わせる関係だったと記憶しています」(元農水省職員の男性)
出典:ニュースポストセブン
現在東京高裁裁判長の青柳勤裁判官は1987年に農林水産省の食品流通局に研修として2年間在籍していました。
これは裁判官への「外部経験制度」で青柳裁判官が省庁への研修に出た時に偶然同じ職場になったようです。
直接の上司と部下の関係ではなかったようですが同じ職場で顔は合わせていた関係のようです。
これを数奇な運命ととらえている方もいますが公正性の観点から問題を指摘するむきもあります。
しかし、裁判所はこのような事実を把握しているはずなのであえて裁判官の配置転換をしなかったと思われます。
青柳勤裁判官の経歴学歴は?
青柳勤裁判官は東京大学法学部を卒業し昭和56年に東京地裁判事補としてキャリアをスタートさせます。
その後は内閣法制局の参事官や新潟地裁の裁判長などを歴任して東京高裁の裁判長になりました。
そして熊沢被告の事件を数奇な運命で担当することになったようです。
定年退官発令予定日 R3.5.6
H26.3.27 ~ 東京高裁2刑部総括
H24.10.27 ~ H26.3.26 新潟地裁所長
H20.1.7 ~ H24.10.26 最高裁刑事上席調査官
H15.2.13 ~ H20.1.6 東京地裁10刑部総括
H13.4.1 ~ H15.2.12 東京地裁判事
H12.8.10 ~ H13.3.31 東京高裁3民判事
H7.7.3 ~ H12.8.9 内閣法制局第一部参事官
H5.1.5 ~ H7.7.2 最高裁調査官
H4.4.1 ~ H5.1.4 東京地裁判事
H3.4.7 ~ H4.3.31 広島地裁判事
H1.4.1 ~ H3.4.6 広島地裁判事補
S62.4.1 ~ H1.3.31 農水省食品流通局企画課課長補佐
S60.8.1 ~ S62.3.31 最高裁刑事局付
S56.4.7 ~ S60.7.31 東京地裁判事補
定年が令和3年に予定されております。
顔写真は?
青柳勤裁判官の顔写真ですがあまり出回っていないようです。
しかし、裁判の最初のプレスへの公開場面で顔写真が確認できる場面がありました。
厳しい判断をしなければならない裁判ということで険しい表情が見てとれます。
ネットの反応
運命としか言いようがないですね。
判断には賛否用論があると思いますが私は賛成です。
裁判官にそんな研修制度があったんだ
つらすぎる
悲惨な事件だったな…