こんにちは!Spread Box編集部の日比谷です。
1972年の札幌冬季オリンピックの70メートル級ジャンプで銀メダルを獲得した金野昭次さんが死去いたしました。
このときの70メートル級は金銀銅のメダルをすべて日本人んがとり日の丸飛行隊と呼ばれました。
今回は冬季五輪のシルバーメダリストの金野昭次さんを取り上げます。
死因:病気(下咽頭がん)金野昭次が死去
今回の訃報について北海道新聞などでは次のように報道しております。
1972年札幌冬季五輪のスキー70メートル級ジャンプでメダルを独占した「日の丸飛行隊」の一員で、自身は銀メダルを獲得した金野昭次(こんの・あきつぐ)さんが5日、下咽頭がんのため札幌市内の病院で亡くなった。
75歳。札幌市出身。葬儀は近親者で行った。
出典:北海道新聞
死因は下咽頭がんで、札幌市内の病院で息を引き取ったということです。
今回の訃報で表彰台を独占した3人のうち2人が死去いたしました。
青地清二さんは銅メダリストですでに故人となっており、健在なのは金メダルを獲得した笠谷幸生さんだけとなりました。
日本大学から北海道拓殖銀行の経歴学歴
高校は地元の北海高校で大学は日本大学に進学いたしました。
そのご北海道拓殖銀行に入行し、1968年のグルノーブル五輪では70メートル級のジャンプで24位に入りました。
そのご72年の日の丸飛行隊となりメダルを獲得しました。
1977年のシーズンまで現役を続け2000年からは札幌スキー連盟のジャンプ競技役員に就任しておりました。
下咽頭がんが発見されたのは昨年ですでにリンパ節などに転移していた可能性が高いということです。
手術や抗がん剤も使用して闘病していたと思いますが今年死去いたしました。
またスポーツ界のレジェンドが一人死去したと思うと残念だというコメントがネットにあがっております。。
ネットの反応
今回の出来事を受けて世の中はどのように反応しているのでしょうか?
SNSなどのコメント欄に書かれたユーザーの意見を抜粋したいと思います。
札幌五輪は、スキージャンプの日の丸飛行隊の活躍でもって、日本中を熱狂の渦に巻き込み、大いに盛り上がったと言っても過言でないと思います。子供心に夢中になってテレビをみていました。表彰台を独占したお三方の勇姿は、今でも目に焼き付いて離れません。輝かしい日本のスキージャンプの歴史の1ページです。
がんで闘病生活を送っていたとは存じ上げませんでした。75歳と言えば、今ではまだまだ若いと思われる方が多いかとも思いますが、長い間大変お疲れ様でした。ゆっくりとお休みください。合掌。
あの頃はオリンピックで日本人選手が表彰台独占だなんて夢のような出来事で日本中が大騒ぎだったと子供ながら記憶してます。
高度経済成長期の日本に大きな勇気を与えてくれました。ご冥福をお祈り申し上げます。
ジャンプの金銀銅独占で日本中がひとつになった感さえあった。
あれから半世紀近くたち、当時活躍されてたアルペンスキーの選手の方々も癌で次々と亡くなられ、時代は終わっていくものと寂しさを感じていたけど、今野さんの訃報はそれを余計裏付けるような出来事になってしまった。
最後までご覧いただいてありがとうございました。
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