元騎手の郷原洋行さんが死去いたしました。
ダービーで2勝をあげ通算で1515勝の勝利を飾った騎手の逝去に関係者は悲しみを隠せないようです。
剛腕とも言われファンも多かった騎手でした。
地元茨城産のダービー馬が居たのもあなたのお陰です、ありがとうございました
息子さんも活躍されましたね。
ご冥福をお祈りいたします。
今回は騎手の郷原洋行さんの死去や死因に関して取り上げようと思います。
郷原洋行騎手死去:死因は病気?
郷原洋行騎手のしきょんに関しては東スポやサンスポなどのスポーツ紙が速報を入れております。
騎手時代にダービー2勝を含む1515勝を挙げ“剛腕”の異名をとった元JRA調教師の郷原洋行(ごうはら・ひろゆき)氏が1月31日、病気のため死去していたことが8日までに分かった。76歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われた。
昭和を代表するホースマンが旅立った。郷原氏は鹿児島・鹿屋市出身で1962年、中山・大久保房松厩舎所属で騎手としてデビュー。その力強い追いっぷりから「剛腕・郷原」と称され、67年には皐月賞をリユウズキで勝ちクラシック初制覇。
出典:サンスポ
サンスポや東スポなどでは郷原選手の功績をたたえその逝去を悼んでおります。
G1でも10勝をあげるなど昭和の競馬界にその名を残した騎手と言えるでしょう。
郷原さんの死因ではネット上では肺炎などの言葉もありますがまだ詳細が判明しておりません。
もしかするとがんなどの腫瘍などがあった可能性も年齢的に否定はできないので死因なども判明すればこちらでも追記していきたいと思います。
引退とウイニングポスト
郷原洋行選手の引退は多くのファンから惜しまれておりました。
1993年に引退をしその後は調教師になりました。
2000年代にゴーカイなどをそ誰あげ2011年にその調教師も引退いたしました。
2014年には競馬の殿堂入りとも言われる顕彰者部門にも選ばれました。
競馬ゲームのウイニングポストで遊んで郷原選手の現役時代を知らなくても名前だけは知っているという方も多いようです。
ネットの反応
Twitterなどでも郷原さんを追悼するようなコメントがたくさんありました。
また一つ昭和の伝説が消えて行ってしまったとの感想を持つ方もいるようです。
絹糸一本で操ると言われた武邦彦、野平裕二に対して郷原洋行、柴田政人の2人は直線に入ってバテかけた馬でも追って追ってゴールまでもたせてしまうイメージが有った。
郷原騎手と言えばニッポーテイオーとレジェンドテイオーが思い浮かぶ。
ダビスタDSで強制的に選択されまくったのが思い出
肺炎っぽい