こんにちは!Spread Box編集部の日比谷です。
映画美術監督の西岡善信さんが老衰のため京都市内の病院で死去いたしました。
享年97歳ということで病気ではなく自然死での大往生ということになりました。
たくさんの美術監督をして俳優さんや監督からも絶大な信頼を得ていた映画の美術監督でした。
今回はそんな西岡さんの逝去について取り上げようと思います。
死因は老衰で西岡善信(映画美術監督)が死去
西岡善信さんの死去については朝日新聞デジタルなどが以下のように報道しております。
映画「地獄門」「利休」などの美術監督として知られる西岡善信(にしおか・よしのぶ)さんが11日午後7時22分、老衰で死去した。
97歳だった。大映倒産後の72年に映像京都を設立し、代表取締役に就任した。
勅使河原宏監督「利休」(89年)で日本アカデミー賞の最優秀美術賞などを受けた。
後進の育成にも力を入れ、KYOTO映画塾の塾長も務めた。
出典:朝日新聞デジタル
西岡善信さんは病気などではなく老衰で死去いたしましたが、波乱の人生を送っていました。
映像京都の代表取締役に就任したり、KYOTO映画塾の塾長をつとめて映画業界に貢献してきたまさにレジェンドと言われるような方でした。
日本アカデミー最優秀美術賞を受賞するなど昭和、平成時代を生きた美術監督でした。
萩原健一との関係と学歴&経歴
西岡善信さんは1987年に萩原健一さん主演の時代劇の映画監督をしました。
その時萩原さんは映画監督よりも美術監督をとったというような逸話があります。
「竜馬を斬った男」は封切時に劇場で観ている。パンフレットも買った。が、鬱のため仕事をせず、かみサンに食わせてもらっていた時期だ。そんな状況で昼間映画観ているなんて知られると騒動になる。そう判断して、帰宅前に近所の行きつけの喫茶店のママに預けたのだった。いつもお昼を食べていた店だ。中野区南台のアパートに住んでいたころの話。
そのうち返してもらおうと思っていたものの、すっかり忘れて埼玉に引っ越ししてしまった。後でゆっくりじっくり読もうと考えていたので、ほとんど目を通していない。そのパンフレットがシネパトスで売られていた。
買うべきか否か……。それはともかく。
この映画については、当初、柳町光男監督とショーケンのコンビに期待していた。「さらば愛しき大地」の衝撃を与えるような時代劇を。「さらば愛しき大地」は観ていないのだけれど。
山下耕作監督になって、がっかりしたことを覚えている。
山下監督が東映時代劇(任侠劇)を支えた名匠であることは理解していた。でも当時(87年)ショーケン主演の時代劇なら新鋭監督でないと意味がないと思ったのだ。ショーケンの事務所、アルマンス企画の映画なのだから。「日本映画[監督・俳優]論」を読んで、この交代劇の真相を知り納得できたのだが。柳町監督に西岡善信を否定されたらそりゃショーケンは西岡さんをとりますよ。
そうそう、映像京都って、もう解散しているんですね。全然知らなかった。
いろいろな伝説のある美術監督が西岡氏でした。
その経歴は波乱に満ちております。
奈良県の明日香村で生まれ大学は法政大学文学部に進学いたしましたが学徒出陣となりました。
その後シベリアで抑留されてから1948年に帰国し大映京都撮影所に入りました。
シベリア抑留時代に映画監督と知己を得てそのことが大映に入るきっかけとなったそうです。
入所時に美術部に配属されたことから美術一筋の人生がはじまりました。
1954年にはカンヌ国際映画祭グランプリを受賞しました。
アカデミー賞名誉賞を受賞した衣笠貞之助監督の「地獄門」など受賞した映画はたくさんあります。
緻密な仕事が監督などに信頼されていた職人気質の美術監督でした。
ネットの反応
今回の出来事を受けて世の中はどのように反応しているのでしょうか?
SNSなどのコメント欄に書かれたユーザーの意見を抜粋したいと思います。
監督俳優だけでなく、こういう方々にも日本ももっとスポットをあててほしい
日本映画ファンにとってはすごい人です。数えきれないくらいの名作をてがけ、京都を中心にまさに日本映画の伝統を守った最後の映画人、生き証人でした。老若男女問わず西岡さんが手がけた映画・ドラマはこれからもどこかで見られるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
名作をありがとうございました。
ゆっくり休んで下さい。
最後までご覧いただいてありがとうございました。
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